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   plaything   ・・・act 8
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部屋に漂う慣れない香りは、ひどく神経に障った。
それはどうしても一人の男を思い起こさせる。記憶は負の感情を伴って、体にじわりと痺れにも似たものをもたらした。
カイはテーブルの上のカップを見やった。深い琥珀色の液体は湯気を立てて強い匂いを部屋に浸透させている。やはり淹れるんじゃなかったと、カイは今更ながらに後悔の溜め息をついた。
普段、家に置く事すらないこのコーヒーは、紅茶党の自分でも、たまにはいいですよ、と同僚が持ってきたものだった。
断りきれなくて受け取ってしまったが、そのままにしておくわけにも捨てるわけにもいかず、一度だけは淹れてみるのが礼儀だろうと思ったのだが、強すぎる香りに当てられてしまって、口をつける気にもなれない。
そして今は、その香りに触発された記憶が、体を支配している。
―――あの男は、紅茶よりもコーヒーを好んで飲んでいた。
「……」
不意にからかう声を耳の奥に捉えたように思って、カイはずるずるとその場に座り込んだ。ベッドに力なく背中を寄りかからせ、天井を見上げて深く息を吐く。
ひどく気分が悪かった。自分を裏切る形で去っていった男の姿が、思い出したくもないのに鮮明に脳裏に浮かび上がってカイを責めた。
深く刻まれた憎しみの記憶は、決して消える事も色褪せる事もない。男の事を考えるだけで、心も体も激しく燃え上がるようだった。それは、憎しみでしかありえないというのに。
蹂躙され尽くした体は、数年がたった今も、未だ男の支配の内にある。
「……」
戒めのように男の名を口にしようとして、しかしそれは音にはならず、逆にカイを煽るものとなって、ただ吐息に熱いものを混ぜただけだった。零れ出る呼気の淫らな色に、カイはきつく唇を噛む。
忘れる事などできない熱は次第に身に広がって、ゆっくりと、だが確実に理性を浸蝕していった。
体の中心が熱い。その正体を、カイは知っている。どうしたらいいのかも、知って、しまっている。全て男によって教えられたことだった。
カイは一度は頭を振って湧き起こる衝動をやり過ごそうとしたものの、それは不意に脳裏に閃いた、男の嘲るような声に失敗した。
『一人で出来ねぇのか、坊や?散々教えてやったじゃねぇか』
「っ…」
蘇る男の言葉は、まるで麻薬のようだった。体を侵し神経を侵し、カイをどこまでも堕としめていく。カイはその声に煽られるようにして足を開き、下肢へと手を伸ばした。布の上からでも、自身が反応している事がわかる。
カイは僅かに震える手でもどかしげに前を寛がせ、躊躇いがちにではあるが中に手をしのばせた。
直に触れたものは、すでに緩やかに主張をはじめていた。一度指先が掠めてしまえば、もうその欲求をはねのける事は出来ない。ぞくり、と背筋を駆け上がるものに、自然と蕩けた声が漏れた。
「あ…ふ」
するり、と手が昂ぶったものを滑った。ぬめりを擦りつけるように指を絡ませ、時折強く握りこんでは、形を確かめるように手を上下させる。くちゃり、といやらしく濡れた音が、静まり返った部屋に、自分の荒い呼気と共に虚しく響いた。
自分の手で触れているのに、まるでそうではないような感覚だった。
嫌いなのに。―――なのに、自分が求め貪っているのは男の教えた熱で。
理性を苛む背徳と嫌悪も、抗いがたい快楽の前に綯い交ぜになってしまって、カイはもはや愛撫の手を止める事は出来なかった。もう片手を添えて、些か乱暴に扱きあげる。
その動きが何を、誰の動きをなぞっているのかはわかったが、カイはそれを否定も出来ず、ただ自身を高めていった。行為に溺れれば溺れるほど、男の記憶は一層鮮やかなものとなって、カイに倒錯的な快楽を与える。
不意に、男の気配がひどく近くに感じられた。
「ぅん……あ、ん…はぁ……っ!」
高い声を上げて絶頂を迎え、手に欲望の証を吐き出して、カイは再びぐったりとベッドに背を預けて体を投げ出した。
虚ろな瞳で部屋を見渡す。身近に感じた男の気配はすでに欠片も感じられず、後にはただ静寂が残るのみだった。
部屋には、コーヒーと欲情の濃い匂いが燻っている。
閉じた瞳から涙が一筋だけ零れた。それが快楽によるものか、それに身を堕とした自らへの後悔によるものか、それとも自分に快楽を教え込んだ男ヘの憎しみから来るものなのか。それは、カイにさえわからなかった。
カイは呆然としたまま、無意識の内に男の名を呟いた。
「ソル…っ」
その声に応えるものは、今は、ない。






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