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   plaything   ・・・act 5
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 予感はあったのだ。
 それはおぼろげながらもずっと胸の内に燻っていて、彼に触れるたび大きくなっていって。
 気が付けば、火が灯いていた。
 そしてそれを、自分はもう、消す事が出来ない。


 鳴り響く鐘の音に、一瞬にして表情から恍惚とした色が抜ける。
 一見した所、剣を握るとはとても思えないこの少年が、血で血を洗う壮絶な戦場に生きる者と確かに感じられる瞬間だ。先程までの甘えた様子は微塵も感じない。
 誰がこの少年の姿を見て、今時分まで男に組み敷かれて喘いでいたと思うだろう。
 カイはソルの体を押し退けるようにしてベッドから這い出ると、賭け布一枚を身に纏わり付かせた姿で目を細め、未だ鳴り止まない警報に耳を済ませた。のそりと上体を起こしたソルもとりあえずはそれに従う。
 鼓膜を振動させる鐘の警告音はそう大きくはない。大した規模のギアではないだろうことが推測できた。
 やがてその音は止み、おもむろに外がざわめきだした。いくつかの部隊に収集がかけられたのだ。
 慌ただしく走り回る音が響く中、しかし部屋のドアを叩くものはない。予想通り大した規模ではなかったようで、自分たちの部隊には収集がかからなかったのだろう。
 カイは厳しい表情のままでソルを振り返った。
「私たちも行きましょう」
「俺は行かねぇよ。命令は来てねえだろ」
「・・・わかりました」
 再びベッドに体を倒し、面倒そうに吐き捨てたソルに、カイは一瞬目を眇めたものの、あっさりと引いた。命令が来ていない以上、自分の言い分も尤もであると思ったのだろう。
 しかし自身は戦場に赴くつもりのようで、椅子に床にと投げ出してあった衣服を拾い集め身に纏っていく。
 幼さの残る横顔には強い決意が浮かんでいた。先程までの澱んだ行為が嘘のようだ。もう自分など目に入ってもいない。
 胸に小さく疼くものを感じたソルは、完全に意識を戦闘へと向けているカイへ低く呼びかけた。
「おい、坊や」
 呼びかけにカイははっとなってソルを肩越しに振り向いた。深い碧の瞳からは欲望の濁りが消えて、湖面のような穏やかさが戻り、それに混ぜて戦闘の緊張と高揚が浮かんでいた。
 戦場で、その瞳がどれだけ鮮やかに輝くかを、自分は知っている。
 けれどそれが決して彼の本質ではないだろう事も、知っている。
 自分から見ればカイはただの子供で、英雄でも何でもないのだ。人間としては卓越した力を持ってはいるものの、泣いて、喚いて、自分の感情すら持て余している子供。自分に対して抱く思いでさえ昇華しきれず、体の繋がりに翻弄されているだけの。
 なのに彼は、周囲に求められるまま、ギアを狩る英雄として戦場へ足を向けようとしている。
 それだけが、自分の全てだとでもいうように。
 ソルはゆっくりと上体を起こして、紅蓮に燃える瞳をカイへ向けた。
「まだ途中だったろうが。てめぇも残れ」
「え・・・?」
 カイの瞳が怪訝そうに歪んだ。言葉の意味がわからない、と問い掛ける視線の色に、ソルは来いよ、と軽く手招きする。
「俺の言う事は何でも聞くんだろ?」
 呟きに細い体が強張るのがわかった。動きを止めたカイは体ごとソルに向き直って、けれどその場から歩み出ることはしない。不安げに瞳を揺らしたカイは、しばらく咎めるような視線を向けていたが、やがて揺るがないソルの視線に目を伏せて首を振った。
「それは・・・出来ません」
「じゃあこの関係も終わりだな」
「な・・・」
 さらりと告げてやると、カイは返す言葉を失ってソルを見た。自分が何を言いたいかを理解したらしく、うっすらと赤らんでいた頬を蒼褪めさせている。
 泣き出しそうな顔になったカイへ、ソルは薄く笑って声を投げかけた。
「自由にならねえオモチャならもういらねぇよ。まあ、そこそこ楽しませてもらったしな」
「・・・・・・」
 聖騎士として戦いに赴くか、ただの少年として欲望に溺れるか。どちらかだけだと、突きつける。
 カイは唇を引き結んで俯いた。長い前髪がさらりと流れてその表情を隠す。泣いているのかもしれなかったが、それでも言葉を撤回するつもりはソルにはない。逃げ場を与えてやるつもりも。
 ソルは視線に鋭さを含めてカイを睨み付けた。
「選ぶのはてめぇだ。好きにしな」
「出ます」
 最後の通告だと呟いた言葉に、カイは顔を上げて、強く、射抜く視線にも怯まずにソルを見据えた。
 カイの返答は淀みなかった。一片の迷いもなく一言でそう告げたカイは再び背を向け、今度はソルを振り返る事もなく、行為の余韻すら感じさせずにてきぱきと身支度を整える。
 予想はしていただけに、ソルはさして驚きもせずその様子を眺めた。自分との関係をなくし、戦いへ向かう事への躊躇いは、少しも感じない。
 まあ当然のことかと、ソルはつまらなそうに溜め息をついた。自分を好きだとは言っても、カイは体だけの繋がりを望んでいた訳ではなかったのだから、未練などないだろう。
 法衣を身に纏ったカイは、傍らに立てかけてあった剣に手を伸ばしかけ、しかしそれには一瞬だけ躊躇した。
 少年の動きが止まる。そしてゆったりとした間を置いて振り向いた。
「・・・ソル」
 囁くような小さい呼びかけに、ソルは応えない。無反応なソルにカイは困ったような顔をしたが、特に咎める事もなく、少し早足に歩み寄ってきた。
 何だ、と問い掛ける間もない。カイは両手を伸ばしてソルの頬を包み込み上向かせると、目を閉じて顔を寄せ、そして唇を押し当てた。
 柔かく暖かな感触が、その温度を分け合うように触れる。
 唇も頬に添えられた手も震えていた。閉じた眦には涙が浮かんで、カイは切なげに眉根を寄せ、何かを伝えようと、また受け取ろうとしているかのようだ。
 ソルは黙って目を伏せ、カイの好きにさせた。
 色気も欲望も欠片も感じない、不器用なキスだった。
「―――・・・・・・」
 唇が離れた瞬間、唇から熱い吐息と共に何かが零れ落ちたようだった。言葉ではない、音にもなりきらない何か。ソルが目を開けて訝しげにカイを見上げると、カイはそれには応じずに、ふわりと微笑んだ。
「今まで、私の我侭に付き合ってくれて・・・ありがとうございました」
 カイは片手でそっと自らの唇をなぞった。嬉しさと寂しさとが綯い交ぜになった、複雑な色が表情をよぎる。
「・・・最後の我侭です。ずっと、キス、したかった」
 涙の浮かんだ瞳を細め、悪戯っぽく微笑んだカイは、名残惜しそうにソルから手を離すと、そのまま勢いよく踵を返し、剣を手に取ってドアから飛び出していった。
 部屋から、少年の気配が消える。外の喧騒が嘘のように、一人残った室内は静かだった。
 一つ大きな溜め息をついて、ソルは床に放ってあった上着を取り上げた。ポケットから煙草を取り出し、一本をくわえ火を付けようとした所で、ふと躊躇いを覚えている自分に気が付く。
 自分の言いなりになっていたカイではあるが、煙草だけはどうしても好きになれないらしく、手を伸ばすだけでも口喧しく注意された。
 止めてやるつもりなどなかったが、あまりに煩いので、彼といる時だけは吸わずにいた。いつの間にか、すっかりそれが習慣となってしまっていたらしい。
 つまり、習慣になってしまうほどの時間を、彼と共有していたという事だ。
「・・・ちっ」
 思い出してしまえば煙草を吸う気にもなれず、くわえた一本はそのまま床に落として、ソルはカイの消えていったドアを何とはなしに見やった。
 戦いと自分と、カイがどちらを選ぶのかは、尋ねる前からわかりきっていた。カイは決して、自らに課せられた期待と希望を裏切る事はしないだろうと、わかっていたつもりだった。
 ならどうしてこんな問いを投げかけたのか。それはソル自身にもよくわからない。
 泣かせたかったわけでも困らせたかったわけでもない。だが、期待は少ししていたかもしれない―――自分を、選ぶかもしれないと。何もかもを捨てて。
 自分の手を取った所で応えてやるつもりもないくせに。ソルは自嘲気味に笑って煙草に手を伸ばしかけ、やはり気が進まずにやめる。
 脳裏を何度も繰り返し掠めていくのは、カイの姿だった。
 唇に残る少年の感触が消えない。涙に煌いた翡翠の瞳が離れない。
『ありがとう』
『ずっと、キス、したかった』
 儚げに微笑んだ顔が―――忘れられない。
 再び鳴り響いた鐘の音に、ソルはぐしゃりと煙草を握り潰した。
「・・・めんどくせぇ」


 斬撃と共に大きな雷をぶつけると、巨体がぐらりと揺らいで地に沈んだ。断末魔の叫びに眉を顰め、カイは荒く息を吐いて周囲に視線を走らせる。
 濃い血の匂いが鼻腔をついた。戦場は、人間にギアにと、無数の死骸で埋め尽くされている。ギアに関しては殆どがカイが倒したものだ。何体倒したかも覚えていなかった。
 当初は中型程度のギアが数体だけで、それは団員たちが危なげもなく倒したけれど、その内の一体が仲間を呼んでいたらしい。もしくは罠であったのか、次から次から現れてくるギアに、部隊は散り散りとなってしまい、もはや生存者も確認できない状態だった。
 しかしカイ個人にすれば、この状況は、ある意味ではありがたいものだった。
 戦う相手が尽きなければそれに没頭していられる。戦いの興奮に身を置いているその間だけは、何もかもを忘れていられる。
 そう、もう二度と触れ合う事のない男の事も。
『ソル・・・』
 死骸を掻き分けて襲い掛かってきたギアを、反射的な動きで鋭い爪をかわし、懐に斬り込んで一撃の元に葬る。倒れこんでくる体から身を逸らして逆方向のもう一体へ斬り付け、雷撃をぶつけて吹き飛ばし、カイは大きく頭を振った。
 消そうとしても消えない男の残像。差し出された手を振り払ったのは自分なのに。彼に抱かれる事よりも戦いを選んだのは自分なのに。
 後悔はしていない。この身、この力、全て自分だけのものではないのだ。ギアを倒し、世界を平和に導く、少しでも平和に近付ける事は、自分に与えられた使命である。
 ソルとの事は、自分だけの我侭だ。何もかもを捨ててそれを貫き通す事など、許されるはずもない。
『・・・もう、充分じゃないか』
 彼の事が好きだった。自由で、強くて、優しかった。自分を取り巻く何にも捕らわれる事なく、いつでもちゃんと自分を見てくれていた。
 愛してもらえなくてもよかった。体だけでいい、どこかで繋がっていられれば。ただ、ソルに、必要とされていたかった。
 そしてソルは伸ばした手を振り払わず、自分の我侭に付き合ってくれた。充分すぎるほどに。
 眩暈のするような快楽の残骸を脳裏に思い出して、カイは薄く微笑む。思えば、戦い以外で『生きている』と確かに感じられたのは、ソルの腕の中にいる時だけだった。
 乱暴に扱われた事もあったけれど、それでも、ソルに抱かれている時だけは、自分がちゃんと自分でいられるような気がして。
『私は、幸せだ』
 カイは顔を上げて剣を構えなおした。大きく剣を振って雷撃を飛ばし、地面を蹴り飛び上がると、綺麗な円の軌跡を描いて剣を振り下ろす。硬い甲殻の手応えと、次には柔らかな肉を破る感触が手に伝い、切り裂いた傷から吹き出した血が純白の法衣を染めた。
 しかし青白い雷光を纏った細身の剣は、何十体ものギアを切り裂きながらも、血に汚れる事も切れ味を衰えさせる事もない。
 馴染んだ感触を握り直し、その切っ先を新たに向かってくる異形へと向ける。
 吐いた息は荒く乱れて熱かった。体が限界を訴えているのだ。それでも完全に囲まれたこの状態では、戦いを止めることも逃げる事も出来はしない。ただ現れる敵を打ち滅ぼしていくだけだ。
 頬を流れる返り血の混じった汗を乱暴に拭い、カイは一歩を踏み出そうとして、足に何かが絡みついていることに気が付いた。振り返るより早く強く引き摺られて、ガクリとその場に膝をつく。
「・・・!」
 片手をついてバランスを取り、肩越しに振り向けば、仕留め損なったギアの腕が足首を捕らえていた。体を捩じらせてその腕を切り落とすが、既に遅い。
 ずぅん、と巨体が動く気配を感じて体を向けた時には、目前に鋭い爪を閃かせたギアの姿があった。
 ―――間にあわない。
 剣も法術も、身をかわす事さえ。諦めではなく冷静にそう悟ったカイは、瞬時に死を覚悟した。自分を切り裂くべく振り下ろされる爪を、ぼんやりと眺める。
 それはひどく優しく、堪らなく甘い誘惑だった。
 死は、平等だ。何もかもを等しく奪い、無へ還す。どうやっても消えてはくれない、この狂おしい程の男への思慕も。
 脳裏を掠める男の顔。彼は、どんな顔をするだろう。
『・・・私が死んだら、あなたは、悲しんでくれるかな』
 随分都合のいい考えだ、と自嘲気味に笑いながら、カイは全身から力を抜いて目を閉じた。
『それとも・・・忘れてしまうかな・・・』
「―――目を開けろ!」
 鋭い矢のような一声。炎の熱さを纏ったその音に、カイは伏せていた顔を上げて言われるまま目を開けた。
 視界を覆うのは、赤。
 天まで焦がすかの如く燃え盛る業火が、死臭に塗れた戦場を浄化していく。炎に触れた躯は、人とギアの差別なく灰となり、爆炎に巻き上げられて空に散っていった。
 これだけの炎を扱える人間を、カイは、一人しか知らない。
「・・・・・ソ、ル・・・・・?」
 呟きに応じるように、燃え盛る炎の中心でゆらりと影が揺れた。影はやがて人の形となり、知った人間の姿となって、カイの目の前に現れた。
 腕に、足に、体のそこかしこに炎を燻らせた男は、燃える紅蓮の瞳で、しかし氷のような冷たい視線を、座り込んだままのカイへと注ぐ。
 幻を見ているのかと、そう思った。けれど視線の熱さは違えようもない現実のもので。
 未だ目の前の現実を信じきれずに、カイは呆然としたまま小さく尋ねる。
「・・・どうして」
「まだ遊べそうだからな、坊やの体は」
 即座に返された言葉を理解するまで少し間があって、しばらくの沈黙の時間の後、カイはかっと頬に朱を走らせた。
 夢や幻にしてもあんまりな言葉だ。羞恥と悔しさと、そして来てくれたという嬉しさのようなものが、全て綯い交ぜになって胸を疼かせる。
 何となく顔を見るのが気恥ずかしく俯いていると、頭上で溜め息を吐く気配があった。
「それに」
 左手に握っていた剣を無造作に放ったソルは、呟きと共に乱暴にカイの腕を掴み、強引に立ち上がらせた。状況の掴みきれていないカイは、引かれるまま立ち上がったものの、足にはうまく力も入らず、ソルに体を預ける体勢になった。
 触れた肌の感触は、カイにどうしても官能の記憶を呼び覚まさせる。慌てて離れようとしたカイを、ソルの腕がきつく戒めた。
 息も触れる間近からじっと自分を見つめるソルに、カイは眉根を寄せて首を傾げる。
「ソル?」
「―――まだ、キスの仕方も教えてなかったしな?」
「・・・え」
 揶揄する言葉に目を見開いたのも束の間、問い返す時間すら与えられずに、唇が塞がれた。
 一瞬、何が起こったのかも理解できずに硬直したカイだが、あわさった唇を割って口腔へと忍び込んできた、生暖かい舌の未知の感触に、応える事も出来ず強く目を閉じた。
「ん・・・っ!」
 ぞくり、と背筋を走る怖気のようなものに、自然と身が震えた。
 細い身を竦めても戒めは解かれず、口内へ入り込んだものは縮こまっている舌を絡めとって乱暴に内部を蹂躙していく。飲み込みきれない唾液が顎を伝っていく感触にすら、カイは痺れるような快感を覚えた。
 重なる唇は、熱い。深くなっていく口接けに、呼吸さえままならない。少しずつ、だが確実に浸蝕されていく。
 ―――怖い。
「ふぁ、ん・・・いや・・・!」
 合間に制止の声を漏らすものの、怯えたその音は男を更に追い立てるだけだった。
 首を振って逃げようにも、後頭部をがっちりと押さえられているせいでそれも叶わず、カイは腕に爪を立てて抵抗した。それでも逞しい体躯はびくりともしない。それどころか、自分の儚い抵抗さえも楽しげだった。
 深く浅く、強く弱く、幾度となく繰り返される口接けに、全身の力が奪われていく。
 甘い余韻をもって長いキスから解放される頃には、カイは意識も定まらない状態になっていた。
 無造作に体を離されて、自分で体を支える事も出来ず、その場にずるずると座り込んでしまう。吸い込んだ空気の刺すような冷たさがソルの唇の熱さを物語って、そして僅かに口内に残る煙草の苦味に、カイはうっすらと顔を赤らめた。
 今更ながらに自覚する。自分は、ソルと、キスをしていたのだ。
 もう二度と触れる事も叶わないと諦めていたのに。呆然とした顔のままソルを見上げると、ソルは普段と同じ、意地の悪い笑顔で自分を見下ろして呟いた。
「こういうのを、キスって言うんだよ」
「っ! ・・・・・・はい」
 明らかに先の自分の行為を馬鹿にされた言葉だが、カイは素直に頷いた。身を持って知らされてしまえば反論の言葉もない。口元に手を当てて気まずげに目を逸らす。
 ソルは傍らに投げ出されたままの封雷剣を拾い、カイに差し出してやりながらふと首を巡らせた。
「さっさと立て、戻るぞ。後は他の奴らに任せときゃいい」
「・・・はい」
 周囲からギアの気配は消えている。ソルの言う通り、後の処理は駆けつけてくる団員に任せても問題はないだろう。カイはようやく気を落ち着けて立ち上がろうとして、失敗した。
「・・・?」
 膝を立てようとしても上手くいかず、カイは再び地面に座り込んでしまう。片手で体を支え、もう一度立ち上がろうとしても、結果は同じだった。膝が震えて力が入らない。
 怪我はしていなかったはずだ。自分で自分の行動が信じられず、カイが戸惑った表情で足を見下ろしていると、頭上からソルの苛立った声が降ってきた。
「おい? 何もたついてやがる」
「・・・あ、足が・・・? 力が入らなくて・・・」
 何度か意識して力を込めてみるが、やはり無駄だった。まさかギアに何かのまじないでもかけられたのかと神妙な顔をしたカイに、ソルは深く大きな溜め息を零した。
「・・・っとにめんどくせぇガキだな。あの位で腰抜かしやがったのか」
「腰? え、わっ!」
 呆れ返ったソルの声に首を傾げて上を向くと、同時に伸びてきた腕に腰を取られ、軽く肩に担ぎ上げられて、カイは思わず声をあげてしまった。うるさそうに舌打ちしたソルだが、カイを離すことはせず、悠然と戦場を歩き出す。
 荷物のような扱いにカイは批難の声をあげようとして、やめた。身動きを止め大人しくソルの体に腕を絡ませ、すり、と顔を摺り寄せる。
 ソルは何も言わなかった。カイも、何も言わなかった。
 わかっている。今だけだということ。戦場を出ればまたこの距離も離れてしまうこと。
 ―――だけど今は、今だけはもう少し、自惚れさせて。

 ソルが封炎剣を奪い聖騎士団を後にするのは、この数週間後の事である。







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