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   観用少女〜Eternal Date 〜    ACT.3
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 どっかりとカウンターに座り、やや不機嫌な顔でグラスを傾けている目の前の男と、少し離れた場所で、この飛空挺のクルーである少女二人に囲まれている、一見した所は同じ可憐な少女にしか見えない、しかし紛れもなく人間ではない『観用少女』を見比べて、ジョニーは感心したように口笛を吹いた。
 金糸の髪、翡翠の瞳、透き通る白い肌、たおやかな印象の線の細い美貌―――輝かんばかりのどれもが、カイがプランツドールとして『一級品』である事を物語っている。
 噂には聞いていたものの、実際に目にするのは初めてで、さすがのジョニーも好奇の視線を隠せない。が、人間と変わりないカイの出で立ち、立ち振る舞いより彼を驚かせたのは、目の前の、おおよそプランツドールとは関わりを持ちそうにもない男が、その極上品である『少女』を連れ歩いているという事実である。
 人を食ったような顔で笑い、カイに観察する視線を向けている、黒服に身を包み同じ色のサングラスに表情を隠した男に、ソルはヘッドギアの奥から紅蓮の双眸を細めてみせた。
 威圧でもするような物騒な視線に、グラスを置いたジョニーは冗談めかして肩を竦める。
「そうおっかない顔しなさんな。珍しいモンだし、何と言っても綺麗なモンだ。興味があるだけさ、その中身もな?」
「・・・」
「・・・だから、そう牽制するなって。ジョークだジョーク」
 さらに目を細めて凄んで見せたソルに、降参とばかりに溜め息を吐いて、ジョニーは賑やかな声を立てる少女たちに視線を戻した。
 クルーであるメイ、ディズィーの二人も、ジョニーと同じく『観用少女』を見るのは当然初めてで、カイに纏わりついては髪やら肌やらを触って珍しがっている。その中心、二人に左右を挟まれた状態で座り込むカイはといえば、二人に――主にメイに揉みくちゃにされながらも、嫌な素振りは見せず、大人しくされるままになっていた。
 表情にはやや困った色が浮かんでいるが、それでも薄く控えめに微笑む顔は美しい。ふとジョニーと視線が合えば、それにも軽く会釈を返してくる。持ち主が持ち主の割にちゃんと躾られてんねぇ、と妙な感心をしながら、ジョニーはわざと神妙な声を作って、熱心にカイに触っているメイをからかった。
「メイ、あんまり乱暴にするんじゃないぜ? お前さんの馬鹿力で、万が一お嬢さんに傷でも付けたら、一生かかっても弁償し切れんからな」
「ちょっとそれどういう意味、ジョニー? ボクはちゃーんと優しくしてるもん、ねー、カイ」
 頬を膨らませて答えつつ、癖のない金髪をくしゃり、と手でかきまぜて乱すメイ。もう片側に座るディズィーも『観用少女』には興味があるらしく、恐る恐る、といった感じではあるがメイが乱した髪に指を差し入れ、丁寧に整えてやっている。
 メイに顔を覗き込まれたカイは、口を開きはしなかったものの、小さく頷いて肯定を示した。素直な所作に顔を綻ばせ、メイはさらに体を寄せた。
「あのね、カイ、すっごいいい匂いするんだよ。髪もふわふわしてて気持ちいーの、ほらディズィーも抱いてみなよ!」
「えっ、あ、じゃあちょっとだけ・・・すみませんっ」
「・・・すまんねえ、ウチのお嬢さんたちは好奇心旺盛で」
 カイに体を摺り寄せてはしゃいでいる二人に代わって、ジョニーは苦笑しながらカイではなくソルに謝罪する。
 年頃の少女の人形遊びだと思えば微笑ましい光景ではあるが、その持ち主を目前にしていると、多少複雑な気分も無きにしも非ず、といったところだった。正直な所、ソルの機嫌がよろしくないのは肌に刺さる気配からも感じるので、ジョニーにしてみればそちらの方が怖い。当の少女たちは、カイも含め誰も気が付いてはいないようだが。
 そんなジョニーの心情などお構いなしに、メイが明るい声を上げてソルを振り返った。
「ねえねえっ、向こうで着せ替えとかしてもいい? 絶対傷なんかつけないからっ」
 旅人用の、清潔ではあるが質素な衣装を見かねてか、しっかりとカイの腕を捕まえた状態で目を輝かせるメイの勢いに、ソルはやや押され気味に眉を顰めた。やれやれ、とカイを見やり、僅かに視線を交わらせた後、曖昧に顎をしゃくってみせる。
「・・・好きにしろ」
「やったあ! ほらほら、行こ!」
 一応の了承をもらうと、後はソルを顧みる事もなく、メイは強引にカイを引き摺ってドアへ向かった。もう片腕を捕まえたディズィーは、何度か申し訳なさそうな顔でソルに頭を下げてはいたが、それでも『人形遊び』の誘惑には勝てなかったらしく、メイを止める様子はない。
 ソルはちらり、ともつれ合いながら消えていく少女たちを見やったが、特に何も言わずグラスを口に運んだ。
 素っ気無く見える動作だが、ソルもまた複雑な心境でいるのだろう、動作の端々には苛立ったような節が窺えた。嫉妬か、と思えなくもないのだが、もちろんそんな事、死ぬ覚悟でもなければ口に出来ない。
 触らぬ神に崇りなし。自らもグラスに手を添えながら、ジョニーは口元にシニカルな笑みを浮かばせた。
「さぁて、お嬢さま方がいなくなったとこで、そろそろ本題に行くとするか・・・お前さんの目的は?」
 ソルと自分とは、知己でこそあるがお互いに友人と呼べるような心温まる関係というわけでもない。世界中を駆け巡る者同士、方々で顔を合わせる事は何度かあったが、ソルが直接飛空挺を訪ねてきた事は初めてだった。ついでに言うなら、連れを伴っている姿を見るのも初めてである。
 それはあえて言わずにおいて尋ねれば、ソルは率直に応えた。
「情報だ。てめえが掴んでるもん、全部聞かせろ」
 懐から硬質な音を立てる小さな袋を取り出し、それをジョニーの前に置いて目をぎらつかせる。
 獰猛な、獣のような目だった。普段見ることもない、戦場でしか覗かないそれは、彼が本気だという証だ。短い付き合いでもそれを理解して、ジョニーは口元から笑みを消した。
 この地で彼が望む情報と言えば、思い当たるのは一つだけである。神妙な面持ちで、ジョニーは声を潜めた。
「例の窃盗団・・・か」
 最近になってこの一帯を騒がせている大きな窃盗団の話は、既に広く伝わっていた。
 ジョニーが現在この地を選んで滞在している理由の一つだ。多額の懸賞金がかけられているということもあるが、その残虐なやり口を見ていられない、というのが最大の理由だった。最近保護したクルーの殆どは、親兄弟を殺されたなどした、その窃盗団の被害者たちである。
 こういった荒事にはクルーを巻き込む事を嫌うジョニーではあるが、今回は事が別だった。荒くれ者の集団である窃盗団といえど、大きな組織だけありそこらの兵隊よりよほど統制も取れていて、警察も手を焼いているという状況だ。一人では限界もあり、ついて行くといって聞かないメイとディズィー、船を動かす最低限のクルーだけを連れて、まず情報収集に乗り出していた、というわけである。
 それでも有効な情報を得る事は難しく、予定より長い滞在となった今も決定的な行動に移れずにいたのだが、どうやらソルも同様のようだ。そうでなければ、人と関わる事を基本的に好まないこの男が、わざわざこんな所に顔を出す事はしないだろう。
 射るように向けられる赤い視線を受け流しつつ、ジョニーは小さく息を吐く。
『しっかし、どういう風の吹き回しだか・・・』
 ジョニーの知る限り、ソルは今までさほど真面目に賞金稼ぎをしていたわけではない。
 高額の賞金首を狙うわけでもなく、賞金首の狙い方にもそもそも法則性がなかった。目に付いたものを適当に、といった感じで、相手が殺人鬼だろうが魔獣だろうが、どんな標的でも当たり構わずだったのだ。むしろ窃盗団のような、集団の獲物を狙う事は少なかったように思う。集団を相手取る事を面倒くさがっての事だろうと、ジョニーは自分勝手にそう解釈していた。
 それが今の彼はどうだろう。面倒くさがらずこうも積極的に情報を集め、自ら打って出ようとは。
 どんな心情の変化があったのかはわからないが、尋常でない力を誇るこの男が乗り出してきた事は、ジョニーとしてもありがたい事だった。目の前に置かれた、多すぎるほどの金貨が入った袋には手もつけず、ジョニーはコースターを裏返してペンを走らせ、そこにいくつかの地名を書き記した。
 テーブルの上を滑らせてそれをソルの方へと押しやる。鋭い視線が、紙片に落ちた。
「本拠地は、まだ完全には絞りきれてない。向こうも故意に情報を流してる。そこに書いたのは、その中で可能性が高いと俺が判断した場所だ」
「上等だ」
 ある程度的が絞れれば充分、とソルは曖昧でもあるジョニーの情報に文句を言う事無く、コースターを懐にしまった。
 口元には、物騒な笑みが浮かんでいる。もしかしなくとも、候補に上げた全ての場所を潰して回るつもりだろう。彼らしいといえば彼らしいが、あんまりと言えばあんまりな方法だ。しかしまあ、どの道自分がどう意見を述べた所で聞くような人間でもない。
 ジョニーはあっさり引いて、代わりにお安いもんだ、と呟いた。テーブルに放置された、返そうにも受け取らないソルからの情報料は、不確かな情報には法外もいいところの金額だ。
 中身の少なくなったグラスを適当に傾けつつ、ソルはジョニーを見た。
「てめえはどうする」
「お前さんが乗り出してくれるなら、俺としては手を引くんでも構わんのよ。クルーを危険な目にあわせるのも気が進まないんでな」
 いかにも『邪魔だから来るな』といったソルの問いかけに、ジョニーはおどけて肩を揺らす。ソルに任せておけるなら、わざわざ自分がでしゃばる事でもない。飛空挺で行動する都合上、やむを得ず何人かを連れてくる形となってしまったが、女性だけのクルーを危険に晒したくない、というのも本音である。
 共闘を申し出た所で、ソルは決して首を縦には振らないだろう。これだけの力があれば、助けはかえって足手まといになりかねない。元々一人を好む彼は、何かを守りながらの戦闘を得意としているとは思えなかった。
 そこまで考えたジョニーは、ふと思いついて隣室をくい、と指し示した。
「礼と言っちゃなんだが、あのお嬢さん、しばらく預かってやろうか?」
「あぁ?」
「メイもディズィーも気に入ってるみたいだし、レイディだけのこの船なら、お嬢さんも居心地悪くないだろう?」
 大人数を相手の戦いとなれば、戦いに向いているとはいえない、そもそも戦うという機能がついているかも怪しい『観用少女』は、それこそ足手まといにしかなるまい。彼女らは桁外れに高価なものであり、そうでなくともあの美貌だ。窃盗どもが狙いをつけないわけがないだろう。
 自身がプランツに興味を持った事もあり、軽い気持ちでそう申し出てみると、ソルは思い切り眉間に皺を寄せて、今まで以上に不機嫌な表情となった。手に弄んでいたグラスを乱暴に音を立ててテーブルに戻し、素早く立ち上がる。
「いらねえよ、そんな世話」
 低く撥ね退ける声だった。反論を許さない強さでそう言い捨てたソルは、足元に放ってあった荷物を取りあげると、後はもうジョニーを振り返る事もなく、カイが待っているであろう隣室へ消えていった。
 大きな音を立てて締められたドアの向こうで、メイとディズィーの残念がる声がする。容易に想像できる室内の様子を思い浮かべて、ジョニーは僅かに目を剥き、そして感嘆の溜め息を吐いた。
 やがてざわめきと共に消えていく二つの気配に、独りごちる。
「大したモンだなあ、プランツドールってのも」
 あのソルに、あんな独占欲剥き出しの態度を取らせるとは。
 世にも珍しいものが見れた、とジョニーは額に指先を当てて笑った。


 色取り取りのワンピースやらドレスやらをそう広くもない部屋中に散乱させた状態で、メイとディズィーは思い思いの服を取りあげてはカイにあてがった。
 布地が散らかる部屋の中心に座らされているカイは、ソルに与えられた、出来るだけ質素で人目につかないような地味な服を着ていたのだが、それもさっさと脱がされ、今はディズィーと同じ、快賊団の制服を着せられている。
 お揃いの服装で隣に並び、ディズィーは少々複雑な顔で微笑んだ。
「よく似合ってますね・・・肌も真っ白で綺麗だし、とても男の子とは思えません」
「ほんっとだよね、ジョニーも完全に勘違いしてたもん。後で絶対笑ってやるんだから、カイもディズィーも黙っててよ」
 感心するような口調に、メイも深々と頷いて同意した。かく言う二人も、つい先程まで、服を脱がすその段階まで、カイは女性であるものと思い込んでいたのである。
 無理もないか、と大人しく服を着せ替えられながらカイは首を傾けた。一般的に『観用少女』は女性体だけしかなく、自分のような少年型は特殊なものだ。体は男でも見かけは女性と同じく、愛玩用に美しく作られているのだろうから、間違われるのも当然だとも思う。今までの旅の間にも、女性と間違われた事は何度もあった。
 とは言え、自分にしてみれば容姿がどうであれあまり意味がない。むしろ人目ばかりを引き、守られるだけの身を恨めしくさえ思っているというのに。
 表情を動かす事もなくそんな事を考えていると、丁寧に結ばれた胸元のリボンを再び解かれた。はっと目を向けると、ディズィーが白地のワンピースを手ににっこりと微笑んでいる。
「次は、これ着せてみてもいいですか? カイさん、絶対白が似合うと思うんです」
「あ、わかるわかる! でもそれの次にはあっちの、ほら青の、襟の詰まったドレスあったじゃん、それ着せようよ」
「髪も長ければいいんですけど・・・『観用少女』って、髪伸びるんでしょうか」
 無邪気な微笑みに囲まれて、カイは勢いに戸惑いつつも薄く笑って頷いた。
 脱がされるままに制服を脱いで、差し出されたワンピースに袖を通す。胸元が開いてはいるものの、清楚な印象のそのワンピースには、袖口とスカートの裾に淡い水色のレースがあしらってあり、薄い布地が重なって光を透かして揺れる様は、涼しい華やかさがあった。飾り気はないが、すっきりとしたラインは細身のカイによく似合っている。
 女性に着せ替えされる事には、多少恥ずかしさがないわけでもないのだが、抵抗はなかった。ソルより前の持ち主の家では、それこそ毎日のように行われていた事ではあった。
 好意を全身で表現し、純粋な思いをぶつけてくる二人に、カイは少し苦い思いを抱いた。
 少女たちの明るい雰囲気はどうしても以前の持ち主を思い出し、それに付随する血の記憶を呼び覚ます。
 目の前で行われた惨劇を、自分はどうしても忘れられない。優しかった持ち主が目の前で殺されていくのを、なす術もなく見つめていただけの無力な自分。逃げるように目を閉じる事しか出来なかった自分を、カイは今も悔しくもどかしく思っていた。
 ソルは、強い。戦いの事などよくわからないが、それでも圧倒的な強さがある事はわかる。幾度となく盗賊や同じ賞金稼ぎと剣を合わせる様を見てきたが、ソルは本気を出してもいないように見えた。
 それでも、不安は消せない。
 いつか自分のせいで、自分を気にかけたせいで、彼が怪我をしたら。命を危険に晒すようなことになったら、と。ふと過ぎる考えにだけでも、カイは身を震わせずにはいられなかった。
 僅かながら表情を曇らせたカイには気付かず、ワンピース姿に満足したメイは、先程の言葉通りの鮮やかな深い青のドレスを手にカイの傍に寄る。襟の詰まったその衣装は、青地に金銀の糸で花や龍などの刺繍が丁寧に施されている、民族的な雰囲気のものだ。
「次はこれこれ! あーもう、すっごい楽しいっ」
「瞳の色とも合いそうですね。お化粧もして大丈夫かしら・・・」
 いそいそとワンピースを脱がして、少々複雑な造りの衣装を着せ付けながら、メイはそういえば、とふと手を止めた。改めてカイの顔を覗き込み、少し考え込むような表情を作る。
「でもさあ、本当に信じられないよ。あのソルが、まさかこんな可愛い子連れてくるなんてさ」
「え、そうなんですか?」
 唐突な発言にディズィーと、着せ替え途中のカイも目を瞬かせた。
 まだクルーに迎えられて日の浅いディズィーは、ソルとは今日が初対面である。確かに、見かけから判断するに『観用少女』を買うような人種とも思えないが、ディズィーはソルに対して、周りが噂するような恐ろしい印象は持たなかった。少なくとも、賞金稼ぎ、という言葉のイメージよりはずっと、悪くない人間のように見える。
 メイは腕組みをして、大きく首を傾けた。癖のない茶の髪がさらさらと流れた。
「ボクはジョニーと一緒に何回か会ってるけど、でも前はもっと近付きにくい人だったんだよォ。大体ボク、ソルが誰かと一緒にいるの、初めて見たもん」
「はあ・・・」
 力説するメイに、ディズィーは要領を得ない顔で曖昧に頷いた。そもそも先程挨拶を交わした程度しか関わりのない彼女には、ソルという人間がどういう人間かもわからないので、何とも答えようがない。
 しかし一つだけ納得できる事があって、ディズィーは中途に肌蹴た服装を整えてやりながら、メイの話をよく理解できずにきょとんとしているカイの瞳を笑顔で覗きこんだ。
「じゃあ、カイさん、よっぽど気に入られてるんですね」
 ディズィーの素直な感想の言葉にカイは瞠目し、少し遅れて、白い肌に朱を散らせた。
 初めての、目に見えるはっきりとした感情の色に、メイもディズィーも目を剥いた。透き通る肌が赤く、仄かに色付いていく様は、初々しく可愛らしい。少女たちの驚きの視線を受けて、カイはますます肩を竦めて居心地悪げに身を小さくする。
 はあ、と大きく息を吐いたメイは、次の瞬間勢いよくカイに飛びついた。
「もう、かっわいいなあー! カイも、ソルのこと大好きなんだ!」
 憚らず大きな声でメイは言い、妹を抱き締めるような気持ちでカイを強く抱き締めた。保護者であるジョニーに親愛の情以上の恋情を抱くメイである、同じように純粋に誰かを慕う人間には、自然と親近感のようなものが湧いた。
 一方、堂々と気持ちを明らかにされたカイは、柔らかな腕の中で恥ずかしさから身を捩じらせた。が、逃れようにも、小柄な体のどこにそんな力があるのか、メイの腕は全く緩まない。カイは素直に諦めて、ぐったりとメイの腕に身を任せる。
 じゃれあう二人の微笑ましい光景を眺めていたディズイーは、しばらく考え込み、やや間を置いてから、ぽん、と手を叩いた。
「じゃあ、カイさんのこと綺麗に着飾って、ソルさんを驚かせましょう?」
「あ、それいい、凄くいい! だったらこのドレスより白の方が―――」
 名案だ、と即座に同意したメイが、早速カイの服を脱がせにかかったのとほぼ同時に、隣室との境であるドアがノックもなしに開いた。揃って振り向けば、そこには話の中心でもあったソルが、不機嫌を隠しもしない表情で立っている。
 ドアから体を滑り込ませてきたソルは、脱げかけた服装のカイとそれを押し倒しているような体勢のメイを複雑な顔で見やったが、それについては何も言わず、ただカイに向けて手を差し出した。
「用は済んだ。行くぞ」
「えっ、もう行くの?!」
「さっきいらしたばっかりなのに・・・」
 短く、息を捨てるように吐かれた言葉に、メイとディズィーはあからさまに不満げな声を上げたが、ソルは取り合う様子もなく二人を見もせず、面倒そうな顔でカイを見下ろすばかりである。
 真っ直ぐ自分だけに注がれる視線を受け止めて、カイははっと身を固くした。ソルはここへは情報を得に来たのだ。長居をするつもりもないのだろう。
 まずは着替えを、と周囲を見回し山となった衣装を掘り返すものの、ドレスやらワンピースやら、派手なものから地味なものまで、様々な服が散らばった中で自分のそれを探す事は、困難を極めた。途方に暮れた顔をするカイに、ソルは深く大きな溜め息を吐いて歩み寄り、ばさりと外套をかけそれでカイをくるむようにして軽く抱き上げた。
 そこでようやくソルはディズィーに目をやり、ポケットから金貨を取り出して投げる。指先で弾かれた硬貨は、すっぽりとディズィーの手に収まった。
 不思議そうな顔で手の中のそれを見下ろすディズィーに、ソルはぽつりと呟いた。
「服代」
「・・・は、はい」
 着替えを探す時間も、着替えさせる時間も惜しい、といったところだろうか。ソルはそのまま挨拶もせずにさっさと踵を返そうとして、背中に待て、と元気な声を投げつけられて足を止めた。
 怖いもの知らずの行動に出たのは、メイである。
 頬を膨らませたメイは、唇を尖らせてソルを見上げた。誰が相手でも、黒曜の瞳は怯まず強い光と称えたままだ。
「まだ着せたいものたくさんあるのにぃ。もうちょっと貸してくれててもいいじゃん、ケチっ」
「・・・駄賃だ」
 威勢良くがなりたてたメイに、ソルは先程のディズィー同様、硬貨を投げた。金で大人しくさせようという意図ではなく、カイの世話をさせた事への礼を含めての駄賃だったが、メイはそれを受け取るや否や、勢いよくソルに投げ返した。
 難なくそれを受け止めたソルに、赤い舌を出す。
「いらないもんそんなの! その代わり、また絶対カイのこと連れて遊び来てよ、絶対だよ!」
「用が出来ればな」
「用事がなくても来るのっ!」
「・・・ああ」
 最後には根負けして、ソルはひらひらと手を振って了承の返事をした。情報を得たからといって、窃盗団の事はそう簡単に片付くような問題でもない。彼女らがここにしばらく停泊しているのなら、もう一度くらいは訪れる機会もあるだろう。
 今度こそ足を止めずに部屋を出て行く、少々恥ずかしげな表情のカイを抱えたソルの後ろ姿を、メイは約束だからね、としつこく声をかけて見送った。


 船の停泊している海辺から滞在している街の宿までの距離は、そう遠くはない。
 すっかり日も傾き薄暗くなった、活気の失せた通りを煙草を咥えながら歩いていたソルは、ふと足を止め、カイの肩を抱いて引き寄せた。
 いきなり引き寄せられたカイは驚きにソルを見上げたが、ソルはカイではなく周囲に厳しい視線を走らせている。何か異変があるのか、とカイが口を開きかけるのと、暗がりからぞろぞろと人影が這い出てくるのは同時だった。
 カイは質問を口内に封じ、引き寄せられるままソルに体を摺り寄せた。気配を読む力など戦闘経験の殆どないカイにはないはずだが、それでも繊細な感性を持つ『観用少女』の事、向けられた悪意は薄々とでも感じる事が出来るのだろう。揺らめいた翡翠の瞳に怯えのようなものを感じて、ソルはカイを抱く腕に僅かだけ力を込めながら、囲いを作っている男たちを見やった。
 中年の者、まだ年端もいかない若い者。年齢も容貌もそれぞれだが、みな左腕に赤いバンダナを巻いている。窃盗団の一員である事を示す印だ。ソルは煙草を吐き捨て、口元を歪めて笑った。
「そっちからお出ましか。・・・都合がいい」
 一人呟きながら、剣に手をかける。囲いがそれに応じたように狭まった。
 この街に来てから、ソルは情報を集める傍らで、窃盗団絡みではない賞金首を何人か、生かしたままで警察に突き出していた。わざと派手に事を起こしたのは、そうしていればいずれ窃盗団の人間が動き出すだろうと踏んでの事である。情報が掴めなかった時のための、いわゆる保険のようなものだ。
 ジョニーから情報を得た今は、動き出そうが出すまいがどちらでも良かったが、都合のいい事に変わりはない。この内の一人にでも口を割らせれば、ジョニーが候補に上げた全てを潰す必要もなくなる。
 剣を抜き、ソルが臨戦体勢に入ると、男の一人が下卑た笑い声を上げた。
「ひゃははっ、この人数相手に女連れでやるつもりかあ?」
「しかも大した上玉だな。安心しな、女の方は殺さねえで可愛がってやるからよ」
「馬鹿な野郎だぜ、俺らのシマ荒らすからこんな事になるんだ」
 男の声に、周囲がざわめきを重ねる。それらを煩げに聞き流したソルは、軽く首を鳴らし、カイを離して代わりに荷物を渡した。着替えやら何やらが詰め込まれた袋を抱きかかえたカイは気遣わしげにソルの瞳を覗きこんだが、ソルはそれに頭を撫でる事で応じた。出来るだけ優しく、彼に不安を与えぬように。
「囲いの一部を抜く。合図したら走れ。後は、そこら辺に座ってろ」
 短く指示を与え、それにカイが頷くのを確認したソルは、剣を構えもせずにそのまま無造作に囲いに向けて駆けた。
 そして、一閃。
 無造作に振るった剣は、建物から僅かに漏れる光と沈みかけた夕陽を美しく反射させながら、数人の男の首や腕を容易に飛ばした。ごとり、と体から切り離された部分が地に転がり、綺麗な切断面から勢いよく血が吹き出した。
 遅れて響き渡る悲鳴に、男たちがわあ、と色めきだつ。
 一瞬にして場が血生臭い戦場と化した。三日月の軌跡を描いて剣を薙いだソルは、もう一歩を踏み出し、今度はそれを間近にいた男に叩き付けた。反射的に受け止めようと構えた剣を飛ばし、なおも勢いを失わぬまま刃は男の体に吸い込まれ、それを簡単に切り裂いた。
 甲高い絶叫。ソルとカイとを囲んでいた輪は、あっという間にその陣形を崩して瓦解した。
「カイ」
 凄惨な戦場の中で、男の声は穏やかな響きをもってカイの名を紡ぐ。不似合いなほど静かな声にカイは即座に反応し、ソルに向けて駆け出した。
 それをきっかけにして、硬直していた男たちも剣を構え直した。人数の上では優位に立っても、ソルの力は圧倒的な数をも覆すだけのものがある。さすがに戦いに慣れている男たちは、表情を改めた。
「回り込め、女を先に捕まえろ!」
 息を吐く間もなく繰り広げられた殺戮に慌てるでもなく、冷静な声が飛ぶ。
 鋭く放たれた指示に思考能力を回復させた男たちは、鬼神の強さを誇るソルではなく、その背後に身を隠したカイへと目的を定めた。崩れた輪が再びソルを、カイを囲むように形取られていく。
 血走った視線からカイを庇うようにしながら、ソルは無表情に血に汚れた剣先を揺らし低く舌打ちを漏らした。
 全員を殺す事は簡単だ。けれどそれでは情報を得る事も出来ず、これだけの人数を屠る事は面倒でもある。そういった思惑もあって、最初に圧倒的な力の差を見せ付けたものの、しかし誰も屈する様子も、逃げ出す様子もない。たかが窃盗団と侮っていたが、思っていた以上に統制の取れた、士気の高い集団のようだ。
 これは生け捕りにしたところで口を割る事もないだろう。思考を切り替えたソルは、明確な殺気を目にみなぎらせて男たちを睨み付けた。
「そこでじっとしてろ」
 背後のカイに一言だけを投げかけて、ソルは振り返らずそのまま集団の中に駆け入った。
 大きな法力を使えば決着は一瞬で済むが、大通りではないにせよ、この街中ではそうもいかない。それに今の武器は法力用に鍛えられたものではなく、いかに力を抑えても、法力の出力には耐えられずに砕けてしまうだろう。面倒だが剣技だけで戦うしかなかった。
 男たちが振り下ろす剣や斧から身をかわし、力任せに剣を振るって薙ぎ倒す。また血飛沫があがり、周囲に濃厚な血の臭気がたちこめた。
 数分の間に集団の半数以上を屍としたソルは、それでも汗一つかかず、息を乱す事もない。力の差が歴然としてもなお怯まず向かってくる男どもに少々辟易していると、ふと背後で荷物を取り落とす音がした。
 振り返れば、物影に隠れていたのか新手か、集団と同じく腕に赤い布を巻いた窃盗団の人間と思しき男が、体を捩って暴れるカイを捕らえようとしている。
 失念していた。カイは、自分以外の人間がいる場所では喋らない。
 ソルの行動は素早かった。迷う事無く集団に背を向け、風を切る速さで男に肉迫し、やや低い姿勢から剣を繰り出す。
 カイを捕らえる事に集中していた男は、カイに触れた腕を飛ばされ首が胴体を離れたその瞬間にも、ソルの接近にすら気付かなかったろう。悲鳴すら上げず、男の体はゆっくりと地面に倒れた。
 表情を失い呆然と立ち尽くしているカイを、ソルは力強く引き寄せた。細い体は震えてはいなかったが冷たかった。肩を抱く腕に力を込めれば、そこでようやくカイも安堵したのか、きつく服を掴んで体を預けてくる。
 その瞬間、ごく近くから叫びが上がった。
「死ねえ!」
 視界の隅に白刃がぎらつく。カイを捕らえようとした男同様、どうやら物陰から気配を消して隙を窺っていたらしい大柄のその男は、体躯と同じ大振りの剣をソルに向けて勢いよく振り下ろした。
 さすがに剣では受けきれないと判断し体を逸らしたソルだが、カイを抱きかかえていた分、僅かに反応が遅れた。斬るというよりは叩き潰すといった目的で振るわれた大剣の切っ先が、翻る外套を裂き二の腕を掠める。
「・・・っ!」
 鮮やかな血が舞った。腕に収まっていたカイが、顔色を無くして引き攣れた吐息を漏らす。
 出血は大した量でもなく、傷自体がそうと呼べるほどの深いものでもなかったが、男たちからは歓声が上がった。傷を負わせた事で自分たちの優位を確信した、勝利の歓声だった。
 ソルは耳障りなその音に目を眇め、そして縋りつく体が震え出した事に気が付いて、低く舌打ちした。自分にしてみれば何でもない事で、この程度では危機ともいえない状況だが、目前で繰り広げられるこの光景は、血に慣れていないカイにとってはあまり気持ちのいいものではないだろう。
 これ以上、小汚い窃盗の遊びになど付き合ってはいられない。紅蓮の瞳がその色を深め、それに呼応して剣に明々と燃える炎が宿った。空気が熱を孕み、ソルの周囲の光景が蜃気楼のように歪んだ。
「めんどくせぇ・・・まとめて消し炭にしてやる」
 呟きは一言だった。法力を使う、と察した男たちは一歩二歩退いて警戒を示したが、しかし遅く、無駄なものにしかならなかった。
 高く掲げられた剣を、ソルはゆっくりと振り下ろす。
 迸る光と熱が、夕闇に薄暗い場を煌々と照らし出した。剣を触媒として燃え盛った炎は地面を舐め、ソルが屠った屍を瞬時に飲み込みながら、意志を持った生き物のように疾く男たちへ襲い掛かった。
 決着は一瞬だった。法力の炎はソルが敵と認識した全てのものを燃やし尽くし、灰すら残さずに消し去った。悲鳴すら上がる事はなく、場にしんとした静寂が戻る。
 ソルは一つ溜め息を吐いて、刀身が黒く炭化してしまった剣を投げ捨てた。がらん、と乾いた音を立てて落ちた剣は、その衝撃にすら耐えられず粉々に砕けてしまった。決して安いものではなかったはずだが、やはり普通の剣では法力の触媒としては役不足である。
 新しい剣を買う面倒が増えた、と眉根を寄せると、不意に強く腕を引かれた。
 予想もしなかった引力にソルは体をぐらつかせ、痛みすら覚えるほどの強さで腕にしがみ付く少年に、僅かに目を瞠った。
「・・・カイ?」
 腕と肩とにしがみ付く細い体は、目に見てわかるほどに震えていた。金糸の髪が揺れ、伏せられた碧の瞳は不安げに潤んで、元々彼は色白ではあるが、さらに血色を失った表情は痛々しいほどに青白かった。
 怯えているのは一目瞭然だった。無理もない、とソルは自分の失態に軽く歯噛みする。
 一瞬の事とはいえ、敵意を持った人間に触れられる事は、プランツドールでなくとも気分のいいものではなかろう。そもそもあの惨劇の中にあって、戦いと最も程遠い存在である彼が、恐怖を覚えないはずもない。
 ソルは空いた片手でそっとカイの頭を撫でてやった。絹糸のような髪に指を差し入れ、慣れない手付きで梳いてやる。甘い匂いのする癖のない髪は、ソルの指先に絡む事もなくするすると滑り落ちて、柔らかなその感触は手に心地好かった。
 何度かそれを繰り返していると、震えこそ止まらないが、腕の中でカイが恐る恐る、といった風に顔を上げた。まだ顔色が良くない。端正な表情からも、怯えの色は抜けていなかった。
「・・・ソ、ル」
 乾いた唇から滑り出る声もまた、普段の甘い柔かさも、凛とした響きもない、強張ったものだった。
 問い掛けるように――自分がいることを確認するように呼ぶその頼りない声に、彼の恐怖の深さを感じて、ソルはカイを優しく、壊れ物に触るように抱き寄せた。ひどく華奢な体だった。
 旅の間、窃盗団だけでなく、同じ賞金稼ぎや魔獣の類とも何度も剣をあわせてきたが、彼は一度も怖いと口にした事はなかった。どんな戦闘の後でも、自分に向けてはいつだって、花が開くような柔和で美しい笑顔を向けるばかりで、怯えた素振りなど見せたこともない。
 しかし、恐ろしくない訳がなかったのだ。直接戦いに関与しなかったとはいえ、この小柄な体で幾度も危険を目の当りにして、人よりずっと繊細な感性を持つプランツドールが、精神を傷付かせぬ筈がなかった。
 彼は、目の前で持ち主が殺された事を自分の罪と思い込むような、自分の非力を嘆き目を閉ざしてしまうような、人よりなお優しい少年であったのに。
 どうして自分は、それに気付いてやれなかったのか。
 ほんの少しでも彼を思いやっていたならば、気付いてやれたのに。
 ソルは自分の至らなさに苛立ちながら、それをカイに気取らせぬよう深く封じ込めて、小さくカイの耳朶に唇を寄せて囁いた。
「悪かった」
「ソル・・・っ」
 らしくもない穏やかな呟きに、カイはようやく恐怖の呪縛から解けて声に感情の色を戻してソルを呼んだ。それでもまだ、声には不安げな響きを宿している。しがみ付く腕は震えたままだ。
 戦慄く唇から何度も、繰り返し自分の名を呼ぶカイを、ソルは緩く、時に強く戒めるようにして、カイの震えが止まるまで抱き締めてやった。


 再びカイを伴って現れたソルの姿に、ジョニーは少なからず驚いた。
 あの様子ではしばらく姿を見せないと、そうでなくともカイを連れてくることはないだろうと思ったが、一体どんな心境の変化があったものなのか。からかい半分でかけようとした声は、しかし鋭い、それでいてどこか迷いのある紅蓮の視線にねめつけられる事で遮られてしまった。
 ジョニーはサングラスの奥で目を瞬かせたが、ソルに質問を投げかける事は出来ず、口元に少々わざとらしい笑みを浮かべて大袈裟に手を広げた。
「忘れモンかい、ベイベー? ああ、お前さんの服ならメイが洗濯してるぞ」
 破けでもしてなけりゃいいがねえ、とあえてソルではなくカイに言葉を投げる。しかしカイは軽口に小さく首を傾げただけで、戸惑ったような表情でジョニーではなくソルを見上げた。どうやらカイも、ソルが飛空挺に戻った理由を知らされてはいないらしい。
 ソルはカイの視線を受け流し、簡潔に呟いた。
「一晩泊めてくれ」
「・・・そりゃ構わんが、どうした? 宿を追い出されたか?」
「そんなトコだ」
 素っ気無い返答に、ジョニーは深くを尋ねる事はしなかった。見ればソルの二の腕には、昼間はなかった包帯が巻かれており、街で何かしら騒動があった事は訊かずとも知れた。
 何にせよ、良くも悪くも人目を引く『観用少女』を連れているのである。単純に、あちらこちらから様々な人種の集まる宿よりも、女性のみのクルーの、何かあればすぐに飛び立てる飛空挺の方が安全と判断したのであろう。
 厄介事は好まないが、しかし女性のこととなれば別である。人形であろうとソルしか目に入っていなかろうと、美人は美人で女性は女性だ。見過ごす事など出来ない。そうでなくとも、あのソルに貸しを作れる機会など、今回を逃せばそうそうあるものではないだろう。
 普段以上に無表情で素っ気無いソルの態度は訝しくもあったが、ジョニーは快く二人を受け入れた。


 メイとディズィーとにカイを預けた――というより半ば強制的に奪われた――ソルがジョニーの部屋を訪れたのは、月も傾きかけた時間だった。
 音もなく気配もなく侵入してきた彼に、ジョニーは厳しい目を向ける。この男は、礼節を弁えるような男ではないが、悪戯に人を驚かせるような人間ではない。ましてや、理由もなく夜半に人を尋ねるような人間でもない。
 声をかけるより先にまず灯りをつけると、男の全身が露になった。男は昼間と同じ、赤いジャケットに古びた外套を纏い、小さな荷物を肩に背負っていた。
 どう見ても、これから眠る人間の服装とは思えない。ジョニーは眩しさに目を細めながら、そこでやっと口を開いた。
「さて、まさか夜這いじゃないだろうね」
「カイを預ける」
 張り詰めた空気を和ませようと口にした軽口に眉一つ動かさず、ソルはぽつりと言った。
 軽口を流された事にではなく、ソルの口から告げられたその内容に、ジョニーは表情を固まらせた。耳から入ってきた言葉を俄かには信じられず、らしくなく動揺を隠せぬまま、声を詰まらせてソルを見やる。
 昼間、自分の冗談めかした申し出さえきつく撥ね退け、メイやディズィーに対してすら嫉妬のような感情を覗かせた男が、今度は自ら『少女』を手放すという。
 信じられなくて当たり前だろう。はっきりとソルが言葉を口にしても、まだ夢でも見ているような感覚のまま、ジョニーは無言でソルの瞳を覗き、その真意を探ろうとした。
 しかしソルは、ジョニーの視線による問いかけすらも許さず、ジャケットのポケットから小さなカードを取り出して、それをジョニーに投げた。硬質な材質で作られているらしいそれは、ふわり、と風を切ってジョニーの手に落ちた。
 半ば混乱の中にありながらも、ジョニーはそれをまじまじと眺めて、さらに目を瞠った。
 手の平にちょうど収まる大きさのそれは、一級の賞金稼ぎだけが登録できるギルドのものだった。名が知れる鬱陶しさはあるが、全国でどこででもいち早く情報を得られる他に、獲得した賞金の管理を任せられるという利点がある。
 ジョニーが知る限り、群れる事を嫌い名を知られる事を嫌うソルは、資格こそあれ登録はしていなかったはずだが、最近になって登録していたらしい。カードにも汚れはなく、まだ真新しいものだ。
 長く賞金稼ぎをしている彼が、何故今頃になって登録したのかは、想像に難くない。感嘆の溜め息と共にカードを眺めるジョニーに、ソルは息を捨てるような口調で呟いた。
「必要なモンはその金を使え。足りなきゃいつでも請求しろ」
 ごくあっさりとソルは言うが、ジョニーは眉を顰めるばかりである。
 ギルドに登録するには、最低でもこの飛空挺を数隻は買える程の実績が必要なはずだ。それをソルは惜し気もなく、あの少女一人のために使えと、ゴミでも捨てるような気軽さで口にする。
 それほどに入れ込んでいるくせに、何故今になって手放す事を決めたのか。
 理由を聞いたところで教えはしないだろうが、気にかかるところではあった。視線からそれを感じたらしいソルは、けれどやはり余計な事を口にするつもりはないらしく、唐突に話題を変えた。
「これからやつらを潰しにいく」
「成る程、お飾りの人形は足手纏い、ってわけかい」
「・・・・・・」
「ま、どうでもいいがね。あの可憐なレディなら、俺としても大歓迎だ。ウチのクルーたちも喜ぶ」
 わざと試すような事を口にして、ジョニーは挑むようにソルを見る。ソルは、表面上は顔色一つ変わらず、眉一つ動かす事もしなかった。反論を口にするでもなく、平静そのものの態度だ。
 だがそれがかえって、波立つ感情を悟らせている事には、どうやらソルは気が付いていないようだった。つい元来の饒舌から口を開きかけたジョニーだが、しかし零れかけた言葉は喉の奥に呑み込んだ。
 それを気付かせるのは、自分ではない。彼に言葉を告げる事が出来るのは自分ではなく、たった一人、あの少女だけだ。
 ジョニーが口を閉ざすと、もうこれ以上は語る事もない、とソルは外套を翻して踵を返した。ジョニーも最早それを止めるつもりもなく、再び暗闇に沈んでいく背中を見送った。
 ただ一つだけ、と独り言のような囁きを漏らす。
「預かるって、『いつまで』だ?」
 ソルは一瞬だけ足を止めたが、その問いには答えぬまま船を後にした。








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