珍しい事もあるものだ、とカイはテラスの方を見やった。
 暖かな日差しが降り注ぐうららかな午後、仕立てのいい椅子にゆったりと腰掛ける男の姿は、その穏やかな光景の中でひどく浮いて見えた。
 一つは男の纏う空気のせいもあり、一つは男の持つ鮮やかすぎる紅い瞳のせいもある。
 カイにしてみれば見慣れた光景ではあるのだが、それでもどこか違和感を消せないのは、ここが男に相応しくないからかもしれない、とも、時々は思う。それは寂しい事だけれど、当然の事の様にも思えた。
 男は、平穏の中に生きる人間ではない。
 たぶん、自分も同じ。戦いに生き戦いに死んでゆく運命の者。
 だからこそこの一時が、自分には何より大切に思えるのだ。言葉を交わすでもなく、ただ共にいる、という事だけでも。
 カイは沈みがちな思考を頭を軽く振って払い、二人分のカップをのせたトレイを手に男の名を呼んだ。
「ソル」
 紅い瞳が、自分へ向く。
 手に持っていた新聞をテーブルに無造作に投げ出して、ソルは椅子をずらすと体全体でカイを振り向いた。どこか挑発的にも見える眼差しに、鼓動が少し早くなる。
 矢の様に真っ直ぐに突き刺さってくる視線を受けながらも、カイは努めて平静な表情を保ち、普段と同じに優美に微笑むと、トレイを丁寧にテーブルに置いてソルにカップを差し出した。
 ぎこちない動作となってはいないだろうかと、ソルから目を伏せながら思う。この男の前でだけは、どうも感情の制御が上手くいかない。
 ソルはしかし特に何も言わずカップを受け取ると、トレイに残されたカイのカップを目に留めて尋ねた。
「仕事は?」
「一段落した所です。一息入れようと思って・・・ソルは?」
「めぼしい情報はねえな」
 まだ熱いコーヒーをそうと思わせもせず口に含んで、ソルはつまらなそうに新聞を一瞥した。先程までは室内の端末に向かっていたようだが、そちらでも何の収穫もなかったのだろう、ヘッドギアの下から覗く瞳に不機嫌な色が混じって自分へ向けられる。
 自らも椅子に腰掛けて、カイは問い掛けてくるソルの視線に柔かく微笑んで首を振った。
 ギアや賞金首の情報は、職業柄あちらこちらから集まってくるが、最近はカイの周囲も至って平穏である。そうでなければ自宅で仕事をする事など出来ないだろう。
 ソルは大仰に溜め息をつくと、そのまま目を伏せた。
 苛立ちというよりも億劫さが滲み出た所作に、カイも目を細めて笑った。
 いつものように何の前触れもなくソルが現れたのは、もう一月も前になるだろうか。付近の賞金首の情報を得ては出掛けていたものの、遠出をする事もなく、大抵はその日の内に戻ってきた。
 つまり、この一ヶ月の殆どを、カイはソルと過ごしている事となる。
 ソルの滞在自体は珍しくもないが、ここまで長期にわたる事はさすがに今までなかった事だった。
 彼がいる事で特に不都合があるわけでもなく、自分にしてみれば嬉しい事でもあるけれど、ソルがどういうつもりでいるのかまではわからない。まさかここにずっと居着く訳でもないだろう。
 何となく訊ねる事も憚られて一月が経ったわけだが、この様子を見るに出ていくつもりもまだないようだ。カイはカップを置いてソルを見つめた。
「それで、どうするんですか?」
「どうするって?」
 質問に質問で返されて、カイは言葉を詰まらせる。
 別にどうと思って口にしたわけではなかった。退屈を持て余しているように見えるのが気になった事もあり、また突然いなくなられるよりは、予定を聞いておいた方がいくらか寂しさも和らぐかと思っただけだ。
 それを正直に口にするのも、何だか自分ばかりがやきもきしているようで気恥ずかしく、カイは頬を赤らめて顔を俯かせる。
 ソルは不機嫌にカップを呷ると、乱雑にテーブルへ戻してカイへ鋭い視線を向けた。
「坊やは俺が邪魔な訳か」
「違う、そうじゃありません! ・・・ここにいてくれるなら、それは・・・嬉しいんです」
 思いもかけないソルの言葉に、カイは弾かれたように顔を上げ声を荒立て、その強い口調に自らも驚きながら、肩を竦め再び赤い顔を俯かせた。
 体を縮こませての呟きに、ソルはしばらく沈黙し、そして溜め息をついたようだった。
 くしゃり、と髪をかきあげる気配があって、呆れたような声が降って来る。
「もうしばらくすりゃ、獲物も何かしらの情報網に引っかかるだろうよ。それまで待つさ、別に急ぐ理由もねえ」
「・・・そうですか」
 言い捨てた声は素っ気無いが、先程までの棘は感じない。その事に安堵し表情を綻ばせたカイは、ふとテーブルに投げ出されたままの新聞に目をやり、それを手に取って繁々と眺めた。
 大袈裟な見出しとぼやけた写真、細かな文字で埋め尽くされた新聞にざっと目を通すが、成る程、確かにソルが必要とする類の情報は見当たらない。
 何気なくページをめくった隅にごく小さなイラストを見つけ、脇の短い記事に目を通したカイは、不意に何かを思いついた顔になって新聞から目線を上げると、心持ち身を乗り出してソルの顔を覗き込んだ。
「じゃあ、明日もここにいるんですよね?」
「? ああ」
「なら・・・あの、一緒に出掛けませんか? ほら、これ」
 カイは手元の記事を指差してソルに示して見せた。稚拙なイラストの中では、シルクハットを被った紳士がステッキを持ち、鳩や炎を手に纏わせている。
 ソルはあからさまに顔を顰めて、記事の見出しを低い声をさらに低くして読み上げた。
「・・・奇蹟のマジックショー・・・?」
「ええ、同僚からも見たと聞いていて。結構、面白いみたいなんです」
 訝しげな顔で記事を読むソルに、カイは努めて明るく持ちかける。
 が、やはり無駄だった。とりあえず、と最後まで目を通したソルは、興味もない、と小さく息を吐くと、そのままふいと顔を逸らしてしまった。
「くだらねえ、どうせ大した芸じゃねえよ。坊やの方がよっぽど色々できんだろうが」
「・・・それは、そうかもしれませんけど・・・」
 つまらなそうに呟くソルに、カイは肩を落とした。
 こういった派手な手品は、タネや仕掛け以前に法力に頼ったところが大きい。最も扱いが難しいとされる雷の属性を操るカイは、法力の細かな制御を得意とするので、ソルの言葉の通り、やろうと思えば手品紛いの事は色々出来るだろう。
 だがカイは、別に手品が見たいというわけではなかった。これはきっかけでさえあればいい。
 新聞をテーブルに戻して、カイは苦笑しながらソルを見つめた。
「だって、今まで・・・一度も、二人で出掛けた事なかったでしょう」
「・・・・・・」
 さすがに思いもかけない言葉だったのか、ソルが僅かに瞠目する。それはそうだろう、自分はこれまで、一度もこんな我侭を口にした事はなかった。
 驚きの視線は少し痛くも感じたけれど、カイは構わずに続けた。
「仕事や戦いに、一緒に赴く事は何度かありましたけど・・・それだけじゃ、寂しいと思って・・・」
 恥ずかしさに頬を染め、言葉を途切れさせながらも、カイは顔色ひとつ変える事ないソルを負けじと見つめ返す。
 共に過ごす穏やかな時間に、不満があるわけではない。ソルといられるだけで、それだけでも充分だと思う気持ちに、決して嘘はない。
 けれど、一つずつでもいい、小さなものでもくだらないものでも、二人で過ごす思い出を増やしていきたいと思った。
 女々しい、と思われるかもしれないが、それでも。
 そうすれば、一人で彼を待つ時間も、少しは短く感じられるような気がして。
「どこでだって、何をしていたって・・・あなたといられるだけでも、いいんです。でも、たまには私の我侭も聞いて下さい・・・」
「・・・・・・」
 カイの縋るような言葉に、ソルは無言のまま椅子から立ち上がった。そのまま部屋へと歩き出す彼を見やって、カイは溜め息を吐きながら目を伏せる。
 やはり、ソルにしてみればわざわざ人の多い場所へ出向く事など、面倒な事でしかないのだろう。
 自分の子供じみた我侭など、どうでもいい事に違いない、と諦めと落胆とに彩られた吐息を漏らし、カイはすっかり冷めてしまったカップに手を伸ばしかけ、そのまま動きを止めた。
 出て行ってしまったかと思ったソルが、再びテラスへ戻ってきたのだ。
 だがカイが動きを止めたのは、ソルに驚いてではない。彼の持っている物体に、である。
 乱雑に折りたたまれたそれを、ソルはカイにひけらかすように無造作に広げて見せた。柔らかな薄桃色の生地が風にはためいて揺れる。
 見た事もない可愛らしい衣装は、一目で女性用の服と知れた。
 襟の大きな上着には花の模様が所々にあしらわれ、それを少し色の濃い、やはり桃色のリボンが飾っている。スカートの裾はふわりと広がっていて白いレースに縁取られており、全体的に暖かい春の陽だまりのような印象をカイに与えた。
 しかし、どこから見ても愛らしくしか見えないそれを、見るからに柄の悪そうな男が持っている姿というのは、はっきり言って不気味である。
 カイは大きく目を剥いたまま、胸にじわりと湧いてくる不安を隠しきれず、思わず椅子を蹴って立ち上がり後退った。
「なな、なんですかそれは・・・?」
「こないだ街で買った。坊やに似合いそうだと思ってな」
 嘘だ、とカイは即座に思った。声こそあまり変化はないが、明らかに目が笑っている。どういうつもりで購入してきたのかは、それだけで知れるようなものだった。
 ソルは意地の悪い笑顔で、レースとリボンとをあちこちにひらめかせた衣服をカイに投げやった。
 ふわふわと宙を舞うそれをつい反射的に受け取りながら、カイは手触りもいいその衣装をまじまじと見下ろす。何度見ても、間近で見れば尚更のこと、何とも言えない気持ちになった。
 恐る恐る目線を上げると、案の定面白そうに口元を歪めているソルの視線とぶつかった。
「着てみろよ。そうしたらどこにだって付き合ってやるぜ?」
「は?」
 予想通りといえばその通りの――あまり当たって欲しくなかった予想ではあるが――その言葉に、カイは顔を引き攣らせた。
 テラスの柵に体を預けて、ソルは懐から煙草を取り出して咥えた。
「一緒に出掛けたいってのが坊やの我侭なんだろ? だったら俺の我侭も聞けよ」
「わ、我侭って・・・っ」
 さも機嫌良さげに煙草を吹かすソルに、カイは絶句した。
 これは果たして我侭と呼べる類のことなのだろうかと、つい真面目に考え込んだりしつつ、ソルと手元の衣装とを見比べる。
 客観的に意見を述べるなら、可愛いと思う。だがそれは、カイの知るところで言えばメイやディズィーや、まだ幼さの残る女性が着るから可愛いのであって、自分が着て可愛いかといえば、それはどう想像してもノーである。
 自分が童顔だというのも女顔だというも認めるが、それにしたって大の男が着て、傍から見て楽しいものだとは思えない。
 カイは何度か深呼吸して思考を落ち着かせ、冷静に尋ねた。
「大体、こんなもの男に着せて楽しいんですか?」
「坊やだからな」
「理由になってない!」
 あっさりと返され、カイはついに口調を荒げた。
 鋭く目を細めてソルを睨みつけるが、手に持っている衣装のせいもあり、まるで緊迫感も威圧感もなかった。それが自分でもわかるカイは、しかしここで引くものかと唇を噛み締める。
 対するソルはと言えば、どこ吹く風である。カイを宥めるでもなければ、前言を翻す気配もない。紫煙を燻らせて薄く笑うばかりだった。
 こうなると、結果は決まっている。いつもいつも、ソルの思う通りに事が進むのだ。
 結局は自分が諦めるしかないのだ。カイは眉根を寄せて俯き、その視界に桃色の布地を映して、もう一度唇を噛んだ。
 悔しいけれど、それでも、少しは困らせてやりたいと思う。
「・・・わかった」
「何が?」
 声を潜めて呟けば、更に意地悪くソルが尋ね返してくる。どうするのだ、と問い掛けられて、カイは口元を引き攣らせ、自棄になって声を荒立てた。
「っ・・・着ればいいんだろう、これを、私が!」
「・・・へえ?」
「約束だぞ、約束だからなっ! 似合わなくても文句を言うなよ!」
 がなりたてるカイに、楽しげにソルが笑う。ソルにしてみれば、出掛ける事を諦めるのでもどちらでも良かったに違いないが、この衣装を用意していたという事は、いずれ嫌がらせも兼ねて着せるつもりでいた筈だ。
 どうせ恥をかくのなら、自分の我侭も貫いた方が幾分ましというものだった。支離滅裂、と思わないでもないが。
 半ば何もかもどうでも良くなったような心境の中で、特大の溜め息をついたカイは、どうしても腑に落ちないものを感じ、思い切って尋ねてみることにした。
「・・・ソル、一つだけ聞きたいんですが」
「あ?」
「一体これ、どんな顔して買って来たんですか」
「・・・・・・・・・・・・」
 ソルはカイから目を逸らし、ついぞその服の出所に関しては口を割らなかった。


 長く長くその場に立ち尽くしていたカイは、意を決して顔を上げた。
 そして鏡に映る自分の姿に、端正な顔が引き攣る。透き通る碧眼は濡れて艶を放ち、その色を鮮やかに深めていた。涙が出なかったのは、自分でも偉いと思う。
 しかし、見つめれば見つめるほど、もはや溜め息も出なかった。
 元より日に焼けない白い肌に、薄桃色の布地はよく映えている。騎士として鍛えているとは言っても、男としては腕も足も細く、そのせいでゆったりと大き目の、女性的なラインの服にも違和感が殆どない。
 何が悲しいといって、妙に似合っているように見えるのが悲しかった。女性だと偽っても、誰も疑わないような気がする。自分で言うのも切ないけれど。
 鏡の中の自分と見つめあいながら、カイは物思いに沈んだ。
『ソルは・・・どう思ってるんだろう』
 突然こんな服を買ってきて自分に着せて、一体何を考えているのだろう。やはり連れ歩くなら女性がいいと、そう思っているのだろうか。
『私が本当の女性だった方が、ソルは嬉しいのかな・・・』
 カイは静かに顔を伏せた。考えても答えは出そうにない。
 鏡を直視している事にも耐え切れず目を逸らすと、同時にドアが開いた。カイは項垂れたままのやや前屈みの体勢で、ゆっくりと振り返る。苛立った顔のソルと目が合った。
「何をぐずぐずしてや・・・」
 とっくに支度を終えたらしいソルは、不機嫌に吐き出した言葉を途中で止めた。紅い瞳が、驚愕にかもっと違うものにか、軽く瞠られるその様子に、カイは恨めしげな視線でソルを睨み付ける。
「笑うな! お前が言い出したことなんだからな!」
「笑ってねえだろ」
 鋭い声にそう答えつつも、ソルの口元は微笑んでいる。かっと頬に朱を走らせ、更に怒鳴りつけようとしたカイだが、どう考えても笑うなと言う方が無理だ、と言葉を飲み込んで肩を落とした。
 この状況を受け入れたのは、他でもない自分なのだ。今更ソルに文句を言っても、仕方のない事だろう。
 深く溜め息を吐き既に疲労の色を浮かべるカイに、ソルは煙草を吹かしながら笑みを深くした。
「似合ってるぜ、坊や・・・いや、今はお嬢ちゃんか」
「褒められても嬉しくない!」
 からかう言葉を一喝して撥ね退け、カイはずかずかと大股にソルへと歩み寄った。壁に背を預け、自分を楽しげに見下ろす男を剣呑な視線で射抜き、ぐい、とその腕を掴んでドアの外へと引く。
 玄関へと足早に歩を進めながら、カイはソルを振り返らすにぼそぼそと呟いた。
「準備が遅れてすみませんでした。行きましょう」
 彼らしからぬ強引さだが、ソルは特に不平を漏らすでもない。薄く笑ったままの表情で腕を外すと、先を歩くカイの肩を抱き寄せた。
「わ・・・っ、ソル?」
 すっぽりと胸に抱き締められる格好になって、カイは怒りを忘れてソルを見上げる。
 ソルはそっと前髪をかき上げてやると、その滑らかな白い額に軽く口接けた。
「約束だからな。存分に甘えさせてやるよ」
 低く甘い囁きに、秀麗な顔が自らの服装の羞恥からでなく赤くなった。


 そんな甘い幸福も、街に出た途端に打ち消されてしまった。
 自ら言い出した事とはいえ、この格好で街を歩くというのは、拷問に近い行為だった。
 特殊な服装からしてもそうだが、普段の格好ではなく、ラフな身なりのソルとの対比がまたひどく人目を引く。
 あからさまに振り返る人間もいて、半刻ほど歩いただけでカイは顔を上げることすら出来なくなっていた。知り合いにでも見られようものなら、今すぐ首を括りたい気分だ。
 一方のソルはと言えば、衆目を集めている事には時折うんざりした様子を見せるものの、特別恥ずかしがるでもなく堂々としていた。しっかりと肩を抱いてくれる手は頼り甲斐があったけれど、この状況ではあまり嬉しくも思えないカイである。
 何度目になるのか、もう数える事さえ放棄してしまった溜め息を吐き出すと、ソルが肩に置いた手を滑らせて顎を取った。
 顔を上げさせられ、何だ、と批難がましげに睨み付けると、ソルはふい、と視線を投げて先を示した。
「おら、もう始まってんぞ」
「え? あ・・・!」
 ソルに促されるままそちらへ顔を向ければ、会場である公園広場に人が集まっている。その中心の舞台で鮮やかに炎が燃え上がるのが見えて、カイは思わず声を上げた。
 す、と腕を回して炎を収めたシルクハットの男が頭を下げると、大きな拍手が湧き起こった。
 顔を上げたタキシード姿の紳士が、愛想よく微笑んで声援に応じる。
「盛大な拍手にご喝采、ありがたくちょうだいいたします。特に可愛いお嬢さん方からはね」
 軽口に会場がまたどっと沸いた。すると、少し下がった位置に立っていた、こちらも礼服姿の女性が握っていたステッキで頬を膨らませながらシルクハットを叩く。ステッキの先からは花が咲いて風に散り、今度は違った意味での歓声が場を包んだ。
 風に運ばれた花弁の一つを手の平に受け止めて、カイは壇上の二人を見やった。
 新聞のイラストは髭の生えた中年の紳士、といった態であったが、壇上で腕を振りステッキを繰る魔術師はまだ随分と若く、容貌を見れば中々の美丈夫である。
 隣に控える黒髪の女性が助手のようで、こちらもはっきりとした目鼻立ちと凛とした眼差しが印象的な、大した美人だった。全体的に若い客が多いのは、この二人の容貌に拠る所もあるのだろう。
 大袈裟に頭を抱えた青年は、脱いだシルクハットを大事そうにさすり、無造作にその中に手を入れると、大量の飴玉を取り出した。子供の甲高い声があがる。
 所々で手を上げて強請る子供たちに、青年は助手と二人で、寸分違いなく子供の手に納まるように飴玉を投げてやった。そうこうしている間にも、シルクハットからは後から後から菓子が溢れて、留まる所がない。カイは素直に感嘆の目を向けた。
 おそらくは空間を繋ぐ術だろう。空間を操る術は、術としての難度はそう高くはないが扱いが難しく、術者もそう多くはない。習得にも厳しい修練が必要とされている。
 一見軽そうに見える青年も寄り添うように立つ女性も、もしかしたらかつては自分たちと同じ、聖戦で力を奮った人間なのかもしれない。
 カイが真摯に壇上を見やっていると、隣で興味も無さそうにしていたソルが、呆れた声で呟いた。
「っとにガキだな・・・あの程度のイカサマで嬉しそうな顔しやがって」
 苦笑を混ぜた言葉に図星をつかれ、カイはかっと顔を赤くしてソルを見上げた。
「べ、別にいいじゃないですか・・・空間転移の術なんて、滅多に見られるものではないんですから」
「甘いもんが欲しいなら、ガキに混じっておねだりしたらどうだ?」
「そんなこと思ってません!」
 ついむきになって言い返した言葉は、自分で思うより大きくなってしまって、カイははっとなって肩を竦めた。
 ただでさえ人目を引いているというのに、これ以上注目を浴びるなんてたまったものではない。幸い周囲は壇上に夢中になっていて、こちらを振り向いた人間はいないようだけれど。
 くるりと首を巡らせると、ふと、壇上の青年と目が合った気がした。
 交わった視線を確かめる間も無く、青年は目を細めて笑い、ぱちん、と指を鳴らして助手を見た。女性は優しく微笑んでそれに応え、少し大きく腕を振って飴玉の一つをカイではなくソルに向けて放った。
 丸い軌跡を描いて飛来した飴を、ソルは眉を顰めながらも受け取った。カイが不思議そうな顔をしていると、今度は青年が、カイへ向けて同じく飴玉を放ってきた。
 反射的に手を差し出したカイだが、飴は手に落ちる事なく、カイの目前でぽん、と弾けた。
「え、わっ!」
 雑踏の中では飛び退く事も出来ず、思わず目を瞑ってしまうと、不意に頭に何かの重みを感じた。
 周囲がわあ、と色めきだつ。カイは恐る恐る目を開けて、そっと頭に触れた。
 指先に柔かい感触。はらはらと花弁が散って視界に揺らめいた。
「・・・花・・・?」
 両手で確かめてみると、頭上に乗せられているのが花冠だという事がわかって、カイは周囲の視線に赤くなりつつ壇上を見た。今度はちゃんと青年と目が合った。隣の女性も、たおやかな笑みを浮かべてカイを見ている。
 優しい紫の瞳の魔術師は、人懐こい顔で笑うと、恭しく礼をした。
「出来の悪いマジシャンから恋の祝福を、可愛いお嬢さん。折角のデートだ、ケンカは勿体無いよ」
「その飴は、恋のおまじないがかかっているんですよ。お二人で食べて下さいね」
 助手の女性も悪戯っぽく微笑み、青い瞳を細めてソルに投げた飴玉を示した。周囲の視線もあってか、普段であればくだらない、と立ち去ってしまうであろうソルも、不機嫌に舌打ちこそ漏らしたが、黙って頷くに留めている。
 拍手と冷やかしとを受けながら、カイは複雑な顔でソルを見上げた。
 ソルはしばらく考え込むような顔をしていたが、やがて大きな溜め息でそれを振り払うと、さっと身を屈めて唇を合わせた。
「え? ・・・んっ」
 深く合わさった唇から、素早く舌が入り込んできた。力強い熱さに身を強張らせたのも束の間、不意に口の中に甘さが広がった。いつの間に口に含んでいたのか、ソルが飴を口移して来たのだ。
 小さな飴玉をカイの口内へ押し込むようにして、ソルはあっさりとカイを離した。
 一瞬の事に目を丸くしたカイを他所に、周囲のざわめきが大きくなる。ソルはそれに構うでもなく、引き寄せたカイの耳元に囁きを流し込んだ。
「大サービスだぜ・・・カイ」
「・・・!」
 ざわめきに消されず鮮明に耳を打つ声に、カイは瞬時に赤くなり、言葉を失って俯くと、そのままソルの胸に顔を押し付けた。ソルはまた溜め息をついたようだが、カイを離す事はせず、胸の中に抱き締める。
 あちらこちらから飛ぶ大きな歓声も拍手も冷やかしも、全てが遠いもののようだ。
 背中に添えられた大きな手は、ただ優しく暖かい。


 月が昇り、すっかり人も引いた帰り道をソルに肩を抱かれて歩きながら、自宅に程近い場所まで来て、カイは一日胸に燻っていた思いを躊躇いがちに口にした。
「やっぱり・・・女性を連れて歩く方が、楽しいですよね」
「はあ?」
 唐突な問いかけに素っ頓狂な声が返る。ソルは一旦足を止めると、訝しげな顔でカイの瞳を覗きこんだ。
 カイは視線から逃げるように更に顔を伏せて胸元に手を当て、らしくもなく小さな、はっきりとしない声で言葉を紡ぐ。
 ゆっくりと途切れがちに。やはり戸惑いと躊躇いを混ぜながら。
 日も落ちた薄闇の中、そうして俯き佇むカイの姿は、ひどく頼りない。
「だって、今日はその・・・凄く、優しかったですし・・・私が、この格好をしていたからでしょう・・・?」
「・・・ばぁか」
 ソルは呆れ返った呟きでカイの言葉を一蹴すると、細い体を引き寄せて上向かせた。街灯に照らされた双眸は、うっすらと浮かんだ涙を反射させ翡翠のように煌いている。
 紅い瞳に真っ直ぐ見つめられ、カイは居心地悪げに身動ぎしたが、しっかりと抱き締める腕は緩まない。強く戒めながら、ソルは困惑した表情を見せるカイの目元に指先を滑らせた。小さな溜め息。
「・・・泣きそうな顔しやがって」
「な、泣いてなんか・・・っ」
 慌てて目元を拭おうとするカイの手を取って、ソルは顔を寄せ眦に浮かぶ涙に舌を這わせた。独特の温度を持つものが肌を辿る感触に、カイはソルの腕の中で身を捩じらせる。
 儚い抵抗を物ともせずに口接けを繰り返しながら、ソルは――こちらも非常にらしくなく――優しく、囁いた。
「性別なんざ、関係ねえよ」
「ソ、ル・・・」
「坊やが可愛いから、苛めたくなるんだろうが?」
 くつくつと喉を鳴らして、からかうように呟くソルに、カイはますます顔を赤くした。あんまり物言いだ、とカイは間近にあるソルの瞳を精一杯の力を込めて睨み付ける。
 それも結局は、ソルを煽るだけだとは考えもせずに。
「い、苛めって、そんなっ・・・」
「黙りな」
「・・・・・・っ」
 弱々しい反論の言葉は一言ではねのけられ、また鋭さを増した紅蓮の眼に射抜かれて、カイは声を失う。
 燃え盛る炎の瞳。自分は結局、この目に逆らえない。
 大人しく黙り込んで目を伏せると、ソルは耳朶に顔を寄せ、軽く噛み付きながら、吹きかける息にのせて何事かを呟いた。
 カイが、その呟きに大きく目を瞠る。
 ソルは二度その言葉を紡ぐ事はせずに、くしゃり、と花冠の乗ったままの髪をかきまぜた。花弁が闇の中、美しく閃きながら舞い落ちる。
「ま、安心しな。帰ったらちゃんと俺が脱がしてやるからよ」
「・・・い、いいです、自分で着替えますから」
 楽しげに言うソルに明らかによくないものを感じて、カイは慌てて首を振った。身を離そうとはするものの、力が及ばず体の向きを変えただけに終わった。
 背中から抱き締められる体勢になり、カイはなおも体を捩らせるが、絡みついた腕がするりと下肢に伸び、薄い布越しに内腿を撫でられて、制止の声も鼻にかかったような甘いものになってしまう。
 ソルはその様子さえ楽しげに、手をうごめかせながら低く笑った。
「遠慮すんな、甘えさせてやるって言っただろ?」
「ひぁ・・・っ、や、やだ・・・!」
 懸命に声を喉の奥に封じ込めて、カイはソルから逃れようと必死に手足をばたつかせた。周りに民家はないが外である、誰の目に触れないとも限らない。
 ソルはあっさりと手を引くと、解放されくたりと力を抜いたカイを軽々と抱き上げた。
「続きはベッドまで我慢してやるよ・・・坊やは甘いのがお好みだからな?」
「・・・っ」
 意地悪く囁いたソルに、カイはもはや抗する言葉さえ持たなかった。
 玄関を抜け、真っ直ぐ寝室へ向かうソルの胸元にきつく縋りつきながら、カイはせめてもの仕返しに、と頬を膨らませて吐き捨てた。
「嫌いだ・・・お前なんか・・・」
「そりゃどうも」
「・・・訂正する、大嫌いだ!」
「はいはい」
「・・・・・・少しは傷付けっ」
 暴言も軽くいなされ、傷付くどころか薄く笑ってさえいるソルの表情にさすがにむっとして、カイは思い切り腕を抓ってやる。
 しかしソルは、やはり平然とこんな事を言った。
「何でだ? 坊やの『嫌い』は愛情表現じゃねえか」
 真顔でそう言い返されて、今度こそカイは完全に絶句した。
 言葉の代わりに長く息を吐いて、するり、と首に腕を絡ませる。結局、こういうところに自分は敵わないんだろうな、と思った。
 自らソルに擦り寄り、耳元に顔を伏せたカイは、ふと思いついて、先程ソルに囁かれた言葉をそのままに返す。
 ソルはくすぐったそうな顔をして、一言、覚悟しろよ、とだけ呟いた。
 ―――長い夜になりそうである。


 END

>SS
乙女なカイでごめんなさい…しかもこんな優しい甘いソルありえない(笑)どこでどうやってピンハなんか買ってきたんだかは、どうか突っ込まないで下さい(笑)
>カット
あんな一番乙女なシーンに可愛いカットをありがとう! 照れてるカイちゃんめちゃめちゃ可愛い〜強引に引き寄せてる感じのダンナも素敵…
イメージしてた以上に可愛いカットで、すごい嬉しかったっすv(コメント・東雲悠希)

>SS
これいままで悠希さんが書いたソルカイSS(コネタ除くとして)のなかで一番ラブ度が高いんじゃないだろうか…。思い出したようにカイちゃんに甘いダンナ萌えー!!カットを描かせていただいたシーンの大胆っぷりにもうドキドキです。甘えモードのカイちゃんがまた可愛くてね〜vvあとゲスト出演のお二人にはやはりにやりとさせていただきました。
>カット
乙女にも程がある、ので切腹。でも楽しかったの、もの凄く…。リリカルホモ作家ここに健在。(コメント・藤井咲)