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   エゴイスト
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 手に持った紙にさっと目を通したカイは、深く溜め息をついてそれを机に戻した。深く、溜め息をつく。
 紙はほんの数行埋まっているだけで、殆どが白紙だった。カイの溜め息の理由は、記述の少なさとその内容によるものである。
 脳裏を掠めるのは、赤い影。艶やかに笑うその残像に、緩く頭を振ってカイは目を伏せた。
 血の赤を纏った、あの女―――イノ。
 ソルは一言、忘れろと言った。それ以上尋ねる事は出来なかったが、彼女がソルの追いかけるものに関連ある人物だという事は、ソルに投げかけられた言葉からもわかる。
 元よりソルは、秘密主義という事ではないようだが、自らの領域に立ち入られる事をひどく嫌うふしがあった。
 イノとの事は彼の『領域』の事で、自分には触れさせたくない事なのだろう。
 けれど、忘れようとして忘れられはしない。それは陵辱の記憶ではなく、彼女のあの鮮やかすぎる印象のせいだ。
 背筋が凍りつくような、美しさと残忍さを併せ持った女。
 今まで戦場に生き、様々な人間を見てきたカイであるが、あれだけの血の匂いを纏わせ、尚且つ邪悪なものを感じさせる人間には、かつて出会った事がなかった。
 『人間』であるかどうかさえ、わからない。見た目こそ女性であるが、ソルへ向けたあの禍々しい気配は、ヒトの範疇を超えていたように思う。
 イノへの警戒心は未だ消えずに胸に燻っていて、それはカイに焦燥のような思いを抱かせた。ソルの事とは別に、あの存在は危険だと本能が訴える。放っておくことは出来なかった。
 そうして幾人かの腹心の部下を調査にあたらせた結果が、先程の紙一枚である。
 執務室の机に置かれたそれに、カイは再び目を落とした。そこには女の名前と外見的特長、数件の目撃情報があるだけだ。彼女の素性を現すような情報は一つもない。
 だがそれも彼女らしいとカイは思った。そこに立てば、あらゆる意味で誰の目をも惹き付けずにはいられないというのに、この足跡の無さがかえって『イノ』という人間を現しているようで。
 ともかく、簡単に尻尾を出すような人間でもあるまい。何が狙いで動いているのか、それだけでも突き止めなければ。
 カイは少し深く息を吸い込み、それをゆっくりと吐き出して立ち上がる。
 するとふと、僅かに開けた窓から風が吹き込んで、机に置かれた書類の数枚かを薄暗くなった部屋に散らした。
 カイはそこで今更ながら、もう深夜に差し掛かる時間なのだと自覚した。法力の灯りが、浸蝕する夜の闇に弱く小さく見える。
 長めの前髪をかきあげ、書類を拾うべく顔を上げると、その視界に飛ばされた書類の一枚が不自然に宙に浮いているのが映った。
「・・・!」
 風に舞うでもない、そこに留まっているといった異常な光景に、カイは傍らの封雷剣に手をかける。
 同時に、静寂に包まれた部屋に軽やかな笑い声が響いた。
 聞き覚えのある、淫を強く含んだ女の声。
 風の運ぶ木々のざわめきに混じったようなその声が、不意に現実の響きを持ってカイの耳に届いた。
「私の事が知りたいの、坊や?」
 問い掛ける声は甘い。カイは応えず、構えを取って書類の浮く空間にきつい視線を投げかけた。
 ゆらりと、その空間にねじれのようなものが発生する。
 空気が歪み闇が深まって、何かが弾けたような音と共に、鮮やかな赤がそこに出現した。
 女が、立っている。
 細い指先には書類の一枚を捉え、淫蕩な視線をカイに向けた女は、美しく微笑んだ。
「だったら、あなたが来てくれなければダメよ。あんな普通の男じゃ燃えないわ」
「・・・何故ここへ」
 カイは短く問い掛けて、電光を纏う細身の剣先をイノへと向けた。薄闇の中、青白い雷が爆ぜて煌く。青緑の双眸は冴えた光を宿してイノを映し、強い威圧が部屋に緊迫した空気を生み出した。
 一歩でも踏み込めば剣が届く、カイの間合いの内にありながらも、イノは特に戦いの姿勢をとるでもなく、ただつまらなそうに紙を弾いた。
 ほっそりとした指先から離れた紙が、ふわり、と今度は重力に従って床に落ちる。
 カイはそれには目もくれず、イノを睨みつける目を外さない。射抜く視線にイノが目を細めた。
 くすくすと、口元に手を当てて笑う。
「熱烈な視線ね・・・私の事が、忘れられなかった? そんなに良かったかしら・・・あなたの大好きな『彼』より?」
「ふざけた事を!」
 揶揄する声を一喝したカイは、素早く踏み出して剣を振るう。白い軌跡を描いて振り下ろされた剣はイノを捉える事はなく、彼女のいた空間だけを虚しく引き裂いた。女の姿が視界から幻のように消えてしまう。
 振った剣をそのまま構えなおし、カイは目を眇めた。先日の事や先程の突然の訪問から察するに、どうやら彼女は空間を移動する能力があるようだ。目だけでは動きを追いきれない。
 しかしわざとであろう、消していない気配は残り香となってカイにイノの動きを教えた。
 気配を頼りに体の向きを変えれば、イノはつい今まで自分がいた机にゆったりと腰掛けている。
 足を組み、その上に肘をついて顔を支える彼女に、カイは躊躇なく封雷剣から電撃を放ったが、それも彼女に届く寸前で薄い膜のようなものに阻まれて消えた。
 背に窓からの月光を浴びたイノは、乱暴ねえ、と楽しげに呟く。赤すぎる紅を刷いた唇が歪んだ。
「何故、って聞いたわね」
 指先で帽子の鍔をあげながら、イノは瞳を瞬かせた。
 緑、青、赤―――目まぐるしくその色が変わる。光の加減によるものではないそれに、カイはそれでも目を逸らさない。否、逸らす事が出来なかった。
 色が変わるたび、瞳に宿るものが深く激しくなっていくのがわかった。
 目を見ては駄目だと―――合わせてはいけないと、何かが訴える。だが既に遅かった。
 構えたままの封雷剣の切っ先が惑いながら揺れ、そこでカイは初めて自分が体の自由を奪われている事に気が付いた。
 強い戒めではなく、制御を奪われているといった感じだった。唇さえ動かせず、開こうとしても戦慄くばかりで、明確な声は出てこない。
 愕然とした表情になったカイに、イノはまたくつくつと上機嫌に微笑んだ。
「ご褒美を、あげてなかったでしょう?」
「っ・・・!」
「イイ声で鳴いてくれたものね」
 先日の件をまざまざと自覚させるように呟いたイノは、未だ色の定まらない瞳でカイを見つめた。髪の先から足の先まで、観察するような視線を向ける。
 否応もなく彼女によって刻まれた記憶を呼び覚まされ、カイは悔しげに唇を噛んだ。しかしささやかな抵抗であるその行動も、イノにとっては楽しいらしく、彼女はさらに微笑みを深くして囁いた。
 静寂の部屋に、イノの声だけが柔かく、淫猥に響く。
「遊んであげるわよ。あなた、とても可愛いもの」
 足を組み替えたイノがそう呟いたのと同時に、カイは全身に脱力感を覚えて剣を落とした。乾いた音が響き、手から離れた封雷剣がその輝きを失う。
 指先が震えていた。指先だけではない、肩も、足も。全てが自分の体ではなくなってしまったようだ。
 恐怖から来るものではない、また脱力感から来るものでもない震えだった。忌々しい感覚にカイは柳眉を顰めるものの、抗う事も既に出来ない。力を失った箇所から徐々に支配を広げていく熱に、薄く開いた唇が潤んだ吐息を漏らす。
 瞳の力だけはどうにか失わずにイノを睨みつけると、イノはトン、と軽い動作で机から降りた。
 動けないカイにゆっくりと、靴音をわざと大きく響かせながら近付く。
「ふふ・・・大丈夫。坊やはあいつじゃないとイケないのよね? ちゃんとイカせてあげるから、そんな顔しないで」
 傍まで寄ったイノは、その細い指先でカイの頬に触れた。体内で暴れる感覚に、それでも必死で抗っているカイの頬はうっすらと赤く色付いて、どこか艶かしい表情を作り出している。
 高潔で純粋であろうとするその様こそが、他者の嗜虐心を強く煽るという事を、この青年は知らないのだ。
 温かな頬に触れさせた指先で、つ、と顔のラインを辿り、喉元に突きつけて、イノはチロリと覗かせた舌で唇を湿した。
「本当に、薄汚れた天使様ね。素敵よ、あなた」
「・・・くっ・・・!」
「さあ、はじめましょうか?」
 俯きかけたカイを上向かせて、イノは再びカイの瞳を覗き込んだ。
 今度は間近から視線を絡められ、カイは息を呑んだ。その双眸の美しさと奥に潜む残虐なものが、背筋に冷たい感覚を走らせた。
 支配される。漠然と、そう思う。
 イノはふとカイの額に指先を当て、聞き取れぬ小さな声で何事かを呟いた。
 それが何かと考える間も無く、命令は下される。
「『脱げよ』」
 イノの瞳に射抜かれながら、カイは呆然とした顔でその声を聞いた。
 女の唇から滑り出る、男の響き。冷然と、高慢に言い放つ、聞き慣れたその声がカイを責めた。
「・・・・・・ソ、ル・・・・・・?」
 どくん、と心臓が波打ち、心はざわざわと得体の知れないものに侵されていく。
 嘘だ、そんなはずがない、と必死で否定するより先に、体が反応を示した。声が響く、たったそれだけのことで。
 困惑の表情で青緑の瞳を揺らめかせるカイに、イノは更に囁いた。
「『どうした・・・聞こえただろうが。早く脱げ、めんどくせぇ』」
 焦れて苛立ったような声。記憶にあるそれと、同じ。
 滑る出る声は、鼓膜を打つ音は女のものであるはずなのに。視界にいるのは確かにイノで、ソルではない。
 そうとわかっているのに、しかしその声はソルと同じ熱さを伴って自分を堕としめていく。
 意識が混濁し、理性が混乱をきたす中で、体だけが勝手に動いた。それが目の前の女に操られての事か、身の内に潜む汚い欲望によるものか、どちらかはもはやカイにはわからない。
 ぎこちない指が服にかかり、重苦しい上着がばさり、と大きな音を立てて床に落ちる。続けてインナーの前を開くと、闇の中、痛々しいほどの白い肌が夜気に晒された。
 僅かに震えるその手が、続けて下肢にもかかった。
 ベルトを外していく音がやけに大きく響いて、聴覚からもカイに羞恥を自覚させたが、手が止まる事はない。まるで意識と体とが切り離されてしまったようだった。
 緩慢なその動きに、わざと『彼』を思わせるような舌打ちをして、女の手が強引に下着ごとズボンをずり下ろす。
 下肢が露にされ、一気に体温が奪われるような感覚に、カイは怯えの混じった目でイノを見た。声にさえならない吐息は掠れ、引き攣っていて、明確な音とはならずに唇から滑り出た。
「ぁ・・・っ」
「『一人で脱げもしないのかよ? 世話のかかる坊やだぜ』」
 囁いたイノの手に軽く肩を押され、カイはそのまま力無くその場に座り込んでしまう。剥き出しになった足に、床の感触は冷たく残酷に自らの置かれた状況を自覚させた。
 イノの瞳の呪縛から解放されたカイだが、しかし体に灯った熱からは解放される事がない。浅く短く、熱に浮かされた息を吐き、こみ上げるものを堪えようと自らをきつく抱き締める。
 逃げるように俯いた視界には、足の間で既に反応し始めた自身が映って、カイは居た堪れずに目を閉じた。
 浅ましい。ソルの声を身近に感じて、ただそれだけでこうも昂ぶってしまうだなどと。
 頭上からは、まるで興奮もしていない、冷めた声が降り注いだ。
「『もう我慢できねえか? なら自分でやれよ』」
「っ! な・・・」
 カイは弾かれたように顔を上げた。声こそソルのものだが、視線を上げた先にいるのはイノの姿で、再びその色の変わる瞳に捕らわれたカイは泣きそうに顔を歪めた。
 何が本当で何が幻か、判断が出来ない。目の前にいるのが誰なのかさえわからなくなって。
 じわりと湧き起こる熱だけが、体と精神とを浸蝕していく。
 縋る瞳で見上げるカイの顎をとったイノは、低く笑ったようだった。
「『そのお綺麗な手で、イってみな。俺をその気にさせてみろ』」
「そ、んな・・・」
「『恥ずかしいこと出来ません、ってか? 何をカマトトぶってやがる、今更だろうが。散々乱れてみせたくせによ』」
 弱々しい声での抗議は嘲笑に一蹴され、カイはさっと顔を赤らめた。それでも言葉に従う事は出来ず、頭を振って手から逃れる。
 イノはふん、と鼻を鳴らすと、すっと身を屈めて膝をつき、乱暴に足を開かせて自身を握り込んだ。
「ひぁ・・・っ! は、いや・・・ぁ」
 触れられた衝撃にカイが切なげな声をあげる。絡む指が与えるのは愛撫などではなく、事務的に追い上げる快楽だけだったが、それも昂ぶった体にはたまらない刺激となってカイを苛んだ。
 白い体を震わせるカイに、イノは敏感な先端に爪をたててやりながら言い放った。
「『こうするんだよ。おら、自分でやれってんだ』」
 屹立し先走りに濡れたものからあっさりと手を離し、イノはだらりと放り出されたままのカイの手をそれに押し付けた。
 途絶えた刺激にカイはイノを見るが、手を重ねられ無理に動かされれば、また湧き起こる快感に金糸の髪を振って身悶える。
「うあっ・・・・・ふ、う」
 強請るような蕩けた声が漏れて、カイは一瞬だけ手を止めたが、流れを堰き止める事も出来ず、ただ添えるだけのイノの手に飢えて、ゆるりと自ら指を滑らせた。
 イノの手が離れても、その手はもう止まらなかった。
 裏筋をなぞり先端を抉り、と、華奢に見える手からは想像も出来ないような荒々しい動きで自身を愛撫していく。それが『誰』を思い、『誰』の愛撫をなぞっての事かは明白で、イノは悦楽に目を細めた。
 しかしカイは、既にイノの姿すら目に入っていないようだった。
「あ・・・ぅんっ」
 絡めた指は白濁に塗れ、濡れた音を立ててカイの聴覚を狂わせていく。
 身を起こしてカイから離れたイノは、再び机に腰掛けて、行為に没頭するカイを楽しげに見下ろした。
「『もっと、足開きな。よく見えるようにな』」
「っ・・・ふあ、ぁ」
 半端に立てた膝が羞恥に閉じられるのをひと声で制すれば、カイは反論の言葉すら紡ぐ事はなく、自慰の手は休めず、ゆっくりとではあるが従順に足を開いた。
 イノの眼前に、勃ち上がったものとその奥まった部分が晒される。
「『いい格好だな・・・後ろもひくついてるぜ? 触ってやれよ』」
 面白がる声にカイはますます顔を赤らめるが、自身を愛撫していた手の片方がそろりと後孔へと伸ばされた。濡れた指でもって入り口を探るようになぞり、何度か躊躇いを見せながらも、細い指を奥へと差し入れていく。
 内部を埋める感触にカイは頭を揺らし、伏せた青緑の瞳から涙が零れた。鼻にかかった甘ったるい声が出る。
「は・・・ん・・・」
 秘部へ指を忍ばせた快楽も相まって張り詰めた欲望は、既に限界を迎えているようで、包み込む白い手がやにわに動きを激しくした。
 じっと見つめられる事すら快感へ繋がるのか、青年は涙の浮かんだ瞳を時折イノへ向けた。
 縋るではなく、求める視線だった。
 イノはそれに魔力を織り込んだ虹色の瞳で応えてやったが、カイが強く反応を示すのはやはり赤い色で、双眸を紅蓮に安定させて溺れていく青年を見据えた。
 『赤』に、安堵に似た表情を浮かべたカイは、ぶる、と体を大きく震わせて背を仰け反らせ、絶頂に達する。
「あぁ・・・あ!」
 高く甘い声と共に欲望を吐き出すと、カイはぐったりと上体を傾がせて、解放の余韻の残った深い息を吐いた。
 イノは、カイを見つめた。
 差し込む淡い月光に晒された肢体は、その硬さのあるラインも確かに男性的であるのに、どこか神聖なものを感じさせる。日に焼けない白い肌は、闇の中にも鮮やかに浮かび上がるようだ。
 内腿に散った欲望の残滓さえ艶やかに肌を飾って、それでも汚れない青年の姿は、美しくもあるがイノの目には滑稽にも見える。
 青年がそうあろうとするのは、一人のためだけだ。それは何ともいじらしく、また愚かしい事であるだろう。
 荒く息を吐くカイにはもう興味を失って、イノはそこからドアへと視線を移した。ひっそりと呟く。
「本当に、この子の事となると鼻の利くこと・・・」
 今は結界を張ってはいない。この空間は閉じられている訳ではなく、入るのも出るのも自由である。
 それでも部屋に押し入ってこなかった男へ、イノは軽い口調で声をかけた。
「こっち、来ないの?」
 ドアがひとりでに開く。闇に紛れて立っているのは確かめるまでもなくソルだ。赤々と燃える双眸が闇の中に剣呑な輝きでもって煌いていた。
 しかし新鮮な空気と共に流れ込んできた来た気配は静かなもので、イノは拍子抜けした顔をしたが、それも一瞬だった。
 注意深く意識をやれば、平静な顔をした男の内で炎が暴れているのが感じられる。
 建物ごと全て焼き尽くす事も容易であろう、猛々しく燃え盛るソルの力を感じて、イノは艶然と微笑む。彼がそうしないのは、目の前の青年を巻き込みたくないからに他ならない。
 揃いも揃って何と愚かな男たちだろう。だがイノはあえてそうとは口にせず、ゆるりと足を組み替えた。
 それに何と言っても、遊びは危険な方が楽しいものだ。そういう意味で言うならば、彼は最高の遊び相手である。
 ソルが現れた事で混濁した意識もいくらかはっきりしたのか、ドアに背を向けていたカイは肩越しに振り返るものの、ソルはカイへは一瞥もくれなかった。
 カイはその事に絶望したような顔になったが、しかしそれでもソルはカイを見ない。紅蓮の、時折金の混じる瞳で、イノを睨みつける。
 代わりとでもいうように、イノがカイをみやった。
「今日は、助けてあげなかったのね。まさかあんたも、そこで一人で楽しんでたって訳じゃないでしょう?」
「淫術まで使っておいて、ぬけぬけとよく言いやがる」
 答えを知った上でのイノの問いかけに、ソルはますます不機嫌に眉根を寄せた。
 精神に作用する術は、下手に介入すると被術者の精神そのものを傷付けかねない。高度で精密な術であればあるほど反動は大きく、廃人となってしまうこともある。
 カイがいかに神器使いとして強靭な精神力を備えていても、一度捕らわれてしまえばどうにもならない。
 イノはこみ上げる笑いを堪え切れずに赤い唇から声を漏らした。
 何という身勝手だろう。ソルはカイに、穢れても生きることを望んだという事だ。
 自分がこうして隙を見せてやるまで、この男は煮えたぎるような怒りに耐えていたのだろう。そう思うと背筋に震えが走るほどの快楽がイノの全身を駆け巡った。
 ソルは左手の封炎剣に明々と炎を纏わせて、ゆっくりとイノへと歩み寄った。脱力してしゃがみこんだままのカイには、やはりちらりとも目を向けずに。
「人の猿真似までしやがって、てめえが坊やに拘る理由は何だ?」
「それを私に聞くの?」
「・・・・・・」
 部屋に、熱気がこもる。封炎剣から迸る炎と、ソル自身が発する強すぎる気配に、空気が張り詰めていく。
 それは怒りであり、また違う感情の顕れでもあった。
 焼き付く熱さに晒されたカイは、かつて感じた事もない『力』に身を震わせながらソルを見上げるが、ソルは構えを取ってイノを睨みつけるばかりだ。赤い瞳は、カイを映す事はない。
 気を抜けば即座に首を落とされる、そんな凄まじい殺気を向けられてもイノは微笑みを崩さず、二人の様子を観察するように見つめる。何とも滑稽な男たちであるが、まだまだ楽しめそうだ。
 イノは身軽に机から跳ね上がり窓際へと退いた。月明かりを嫌うように帽子のつばを深く引き下げ、その奥から覗く瞳を妖しく輝かせて呟く。
「よかったわね、壊れなくて」
 ソルヘ向けたものかカイへ向けたものか、定かではない言葉だけを残して、女の姿は闇夜に溶け込むように消えていった。
 幻のようにその姿は消えても、部屋に残る淫の残骸は消えない。
 イノの消えた窓の方向を睨み付けたままのソルに、カイは小さく呼びかけた。
「ソル・・・」
「俺は忘れろつっただろうが」
 かけられる声の冷たさにカイは肩を竦める。自業自得だと、ソルはそう言っているのだろう。それはその通りで、カイは反論の言葉を持たない。
 不用意に彼女に近付き、ともすれば精神を壊されかねない危険に身を晒したのは自分の非である。
 カイが俯くと、ソルはようやくカイを見やって、そして低く嘲る声で言った。
「それとも、淫乱な坊やはあの女にこうされたかったのか?」
「なっ・・・! 違う、そんな・・・!」
 冷徹に見下ろされる視線にカイは慌てて顔を上げ悲痛な声で否定するが、ソルは鼻を鳴らして笑うだけだった。
 その様子に、カイは愕然となる。強い拒絶。今までソルを追いかけて、はねのけられた事はいくらでもあったけれど、こんなあからさまな拒絶は初めてだった。
 汚いものを見るような目で、自分を見下ろすその瞳。
「・・・ソル・・・」
「坊やにちょろちょろされんのは迷惑なんだよ。今度こそ忘れろ。あの女にも、俺にも関わるんじゃねえ」
 素っ気無く言い捨てたソルは、ひらひらと手を振ると、そのままカイに背を向けた。カイは大きく目を見開く。
 関わるな、と言われるのは初めての事ではない。本気を出せとか封炎剣を返せとか、自分でも言い訳がましく聞こえる理由で詰め寄れば、ソルはいつでもそうやって自分を追い払った。
 けれど今回は、違う。
 彼が自分から離れていこうとしているのがわかった。そしてきっと、もう二度と自分の前には現れないつもりだと。
 後はもう無言のまま、自分から離れドアへ歩いていく広い背中へ、カイは縋るような視線を向ける。
 ―――嫌だ。
 カイは咄嗟に立ち上がると、覚束ない足取りのままソルの背中へとぶつかるようにしてしがみ付いた。
「嫌だ・・・いや、ソル・・・!」
 行くな、とは言えずに、それでも引きとめの言葉を口にすると、ソルは足を止めはしたものの、振り返りはしなかった。揶揄する声で尋ねる。
「何だぁ? 俺に犯してくださいってか?」
「っ・・・」
 面倒そうな声。背中に抱きついているために表情を確かめる事は出来ないが、おそらくは呆れた、もしくは憐れむような顔をしているのだろう。
 いや、笑っているかもしれない。かつては聖騎士団の団長として立っていた自分の、こうも浅ましい姿に。
 けれどカイには、そんな事はどうでも良かった。今、彼を引きとめる事が出来るなら、どう思われてもどんな方法でも構わない。
「・・・・・・そう、です」
 ジャケットに皺を刻むほど強く握り締めて、カイは小さく呟く。
 この言葉で彼がどんな風に自分を扱うか、蔑むのか突き放すのか、恐怖は大きいけれど、それでも今はこれ以外に自分が取れる方法はない。
 体が、小刻みに震える。
「抱いて下さい・・・私を。どんな風にでも、構いません、から・・・」
「―――いいぜ」
 掠れた声での懇願にあっさりとソルは答えて、しがみ付く体を引き離し、そのまま乱暴に肩を掴んで床に投げ倒した。
 術の余韻で自由の利かない体は容易く床に転がって、カイは衝撃にうめいたが、すぐさま圧し掛かってきたソルの重みに息を呑んだ。
 近付いた顔は、獲物を追い詰めた獣のような、残忍な微笑みを浮かべている。
「抱いてやるよ。男相手なら余計な面倒もねぇしな、せいぜい楽しませてもらうさ」
「・・・・・・」
 これはただの性欲処理だ、と突き付けられて、カイはきつく唇を噛んだが、それも覚悟の上だと、了承に代えて自らソルの首に腕を回して抱きついた。
 ソルは特にその腕を外す事はせず、また抱きしめ返す事もせずに、膝に手をかけて強引に足を開かせた。性急な動きにカイはビクリと肩を揺らしたが、回した腕は離さない。つ、と太腿を辿っていくソルの手に引き連れた吐息を漏らす。
 ソルの手はそのまま内腿の柔らかな感触を楽しみつつ付け根へ伸び、カイ自身には触れる事なく、双丘へと辿り着いた。
 奥を開かれ腰を抱え直されて、カイはソルの意図を悟る。
「や、まだ・・・」
 先程、自らで僅かに慣らしただけの箇所に、熱く硬いものを押し付けられ、さすがにカイは身を竦ませた。腰を引こうにもしっかりと捕らえられてしまって身動きが取れない。
 しかしソルは構わず腰を使って、狭い入り口にいきり立った欲望をねじ込んでいく。
「ひっ・・・うあ、ぁっ!」
 細い体は軋み、無理に広げられた秘孔は引き裂かれる痛みだけをカイにもたらした。乱暴な挿入は繊細な内部の皮膚を傷付け、結合部からは赤味の滲んだものが零れ落ちて床を汚す。
 甲高い悲鳴を上げて背を逸らし喉を仰け反らせれば、ソルは白い喉元に噛み付いて強く吸い上げた。キスマークだなどと甘いものではない、無残な赤い鬱血が刻まれた。
 強張った体を更に揺すり上げて根元まで納めたソルは、きつい締め付けに僅かに熱のこもった息を吐く。
 その呼吸すら、繋がった箇所を刺激するのか、碧い双眸から涙の雫を落とすカイは切れ切れに声を漏らした。
「・・・つっ・・・いた、あ・・・!」
「・・・その割には、悦んでるじゃねえか?」
 痛みを訴えるカイの言葉を笑い飛ばしたソルは、痛みに竦みながらも、奥を突かれる事でゆるゆると勃ち上がりかけていたカイ自身を握り込む。
 不意に訪れた痺れる快感にカイは蕩けた嬌声を上げ、反射的に咥え込んだ熱さを締め上げてしまい、快楽と痛みとの両方に苛まれ髪を振って喘いだ。
 欲望に触れるソルの指は決して優しくはなく、しかしそれがソルのものだと思えば否応なく体は高まった。
 自慰などとは比べ物にならない、目の眩む感覚。
 見れば、余裕のある表情ではあるソルだが、不揃いな髪を頬に張り付かせ、息を乱しているのがわかる。
 この行為に意味などなくとも、今、こうして繋がって互いを感じでいることだけは本当なのだ。それだけの事にカイはごく薄くだが微笑みの表情を作る。
 それに目を眇めたソルは、低い舌打ちを漏らすと高くカイの腰をあげさせ、足を肩に抱えあげて激しい律動を再開した。
 先端ぎりぎりまで引き抜いては、最奥まで一気に貫くといった、傷付いた秘部をいたわる事のない、自分本位の突き上げだった。それこそ『抱く』のではなく『犯す』といった行為。繋がった部分が卑猥な泡立った音を立てる。
 思うさま揺さぶられながらも、カイはソルを離しはしなかった。
 潤んだ瞳は綺麗なまま、それでも真っ直ぐにソルを映して、決して逃げる事がない。
 前を寛げただけの、殆ど服も乱れていないソルに腕を絡め、カイは何度もその名を呼んで自らも腰を動かす。
「ソルっ・・・あ、ふ・・・・・ソ、ルぅ」
「何で・・・てめぇは・・・っ」
 荒い呼吸の合間の苛立った呟きは、意識もはっきりとしていないだろうカイには届かず、届いたとしても理解できないものだったろう。
 ソルは不意に上体を折り曲げると、荒々しくカイに口接けた。
「んっ・・・!」
 言葉も吐息も全て奪うような、激しいキスだった。舌を差し込まれ絡められ、カイは驚きに目を瞠ったものの、強引な求めに応えようとしたが、ソルはそれすら許さずに熱い口腔を蹂躙する。
 口接けは、声より雄弁に何かを語っているようだ。吐息を共有するような一体感にカイは恍惚とした顔になったが、次の瞬間にはまた荒く突き上げられ、秀麗なつくりの顔が歪んだ。
 構わずソルは強く腰を打ち付けた。
「あ・・・っく、や、あぁ!」
 叩き付けられた欲望の熱さに、眩暈がする。衝撃に自らも精を吐き出しながら、カイはソルにしがみ付く腕にきつく力を込めた。
 ―――傍にいたくて。
 エゴだというのはわかっている。自惚れでなければ、彼が自分を手酷く扱い、突き放そうとするのは、自分の身の安全のためなのだろう。巻き込みたくないという、彼の優しさなのだろう。
 彼の背負うものは、それだけ大きく重いもので、危険なものなのだ。それはわかっているつもりだった。
 しかしそれでも、自分は彼を絶対に失いたくはない。
 この身を堕としめる事だけでそれが叶うなら、いくらだって堕ちてゆける。どんな危険も、彼といられるなら受け入れる。
 彼を失う事の方が怖いという事に、気が、付いてしまったから。
 体だけでも繋がっていたいと、そう思っている自分に。
「ソル・・・!」
 霞んでいく意識の中でそれでも腕だけは外さずに、カイは刻み込むように男の名を呼んだ。
 ―――私はいつまでも、お前を追って行くから。


 ぐたりと力を失った肢体に上着をかけてやりながら、ソルは自分の膝に頭を預けて寝息を立てるカイを見下ろす。
 意識を失っても彼は自分から離れず、掴んだ上着を離す事もしなかった。今も、乱暴に扱われた痛みに顔を顰めているくせに、上着はずっと握り締めたままだ。
 涙の痕の残る頬につ、と指を滑らせながら、ソルは僅かに笑う。
「っとに、ガキだな」
 闇に響く声は呆れているが、険しさはない。むしろ愛おしむような声音だった。
 眠るカイの金糸の髪を梳いてやりながら、ソルはその手を離す事を惜しんでいる自分に気が付く。
 いや、ずっと気付いていた事だった。見ない振りをしていただけ。
 巻き込みたくないだの危険だのと自分勝手な理由をつけて、結局自分は、彼への想いから逃げていただけだ。
 例えその身が血に汚れようと恥辱に塗れようとも、自分だけのものでいろと。
 しかし手に入れてしまえば、彼は今まで以上の危険にさらされる事になるだろう。今日のように、イノに狙われることだって増えるかもしれない。
 かつて彼女が言った通り、彼を何もかもから完全に守りきってやる力があるわけでもない。
 それでも、手放したくないなんて。
「・・・エゴイストは、俺の方か」
 呟きは闇に消えて、カイに届く事は無い。
 ソルは小さく彼の名を呟いて、もう一度柔らかな髪を撫でてやった。
 ―――目の覚めたお前は、また俺を追ってくるだろうか。




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